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【#思考の言語化】得るものよりも、失って気付かされる大切なこと

 人間が生涯かけて得られるものには限りがある。以下に書き記す言葉は、誰もが言いそうで、誰もがそうと信じそうな言葉だ。

 金を貯めろ、無駄遣いをするな、モノは大切にしろ、人から信頼されるように努めろ、人脈を増やせ、良いものを知れ、良いものを食え、良い服を着ろ、自信を身に付けろ、誰にも負けないものを持て、知識を身に付けろ、経験をしろ、挫折しても立ち上がれ、前を向いて生きろ、諦めるな。

 なぜ誰もが言いそうで、誰もが信じそうな言葉なのか。それは、自分の口からこうした言葉を発し、信じることで、「自分は他者の見本であり、真っ当な人生を歩んでいる」、そう思えるからではないか。

 世の中には、汚い金と知っていても「背に腹は代えられない」などと自分だけを納得させて群がり、いざ窮地に追い込まれる時も、奪い、盗む。時には人様の尊い命さえも。

 「自分だけが助かればとりあえず後のことはどうでもいい」

 こういう考え方をして生きている人間が思いの外多いと感じるのは、元々人間の本能に「保身」に走るセンサーのようなものが内蔵されているからではないだろうか。

 実のところ、ボクらは、そうした奪い合いの現場を見ている。一番身近なところで言うと、スーパーや百貨店のバーゲンセール。企業の決算期にも還元セールが実施される。もちろん、業種にも因るけれども、誰もが毎日のように食事をする、それに関連した小売り業や飲食業なんかでは、叩き売りにも似たようなことが実施される。

 そういう時には、開店前から並んで我先に普段は変えないような商品をちょっとでも安く手に入れようとする人たちが他の客と奪い合う。こうした風景は市場原理から言えば至極当然のことで、何も悪いことではないし、家計を守る主婦の立場なんかからすれば、他の客に取られてたまるか!といった気合が入るのも理解できる。

 誰もが知っているように、コロナ禍が始まった当初、政府から常にマスクを着用するように要請が出た頃、国内から真っ先にマスクが消えた。そして、後を追うようにイソジンも消えた。

 数か月後、「マスクはあまり意味がないよね」「イソジンって効果ないよね」といった気付きに至り、次にやってきたのはワクチン接種予約争奪戦。挙って予約しようとするもトラブルが相次ぎ、やっと1回目、そして2回目と接種をすることができたと安心していたら、デルタ株のブレイクスルー感染に見舞われた方が相次ぎ、中にはお亡くなりになられた方も。

 ファイザー製のワクチンで明らかになった金属製の異物混入、ワクチンの製造ロットで現在対象者へのケアが進んでいるものの、異物起因の死亡事案は本当になかったのかと言えば、あったとしても公表できるような事態ではない。にしても、なぜ国民は黙っているのだろうかと不思議に思う。

 それもそのはず、「自分はまだワクチン接種してないから関係ない」「ワクチン接種したけどロット対象外だから問題ない」「ワクチン接種したけど一般的に言われている副反応内の症状で収まったから問題ない」などなど、現在の自身の状態と事態の深刻さがどれくらいリスク乖離しているかを見て判断しているからに外ならない。

 そして、その次にやってきたのは、デルタ株に続き、ラムダ株、ミュー株の近況が報道される度に、「今現在出回っているワクチンを接種しても感染するんだね」「BMIの数値が30以上の人は重症化リスクが2倍から4倍なんだね」といったことも世間に認知されるようになり、政府や医師会のコメントは、当初高齢者向けにワクチンの接種をお願いしていたのがこのタイミングで20代~40代へ切り替わることとなった。

 政府が欲しているのは、「ワクチン接種回数」「ワクチン接種人数」といったデータ上の既成事実ではないのかということ。その背景では、伏せるべきと判断された情報は伏せられている。

 「今、医療従事者を除く誰もが保身に走っている」少なくともボクにはそういうふうに見える。そんな中、メダルをかじった名古屋市長も皮肉なことにコロナに感染したという報道が流れてきて、泣きっ面に蜂状態。

 そこでふと思う。最大級の保身はどういう状態か。おそらく、ニート、引きこもり、現在そうして過ごしている人たちは、現在までのコロナ禍の変化を冷静に見ているのではないだろうか。ボクも限りなくその状態に近い。

 現在無職の状態の人たちも、コロナ禍においては再就職の時期を見誤るわけにはいかないと慎重な姿勢を保っているのではないか。こういう時にこそ、月給や年収の良いところばかり面接を受けて入社したとしても、想像と現実のギャップを突き付けられて入社間もなく退社するといった人たちも出てくるだろう。

 目先の保身に走るか、中長期目線でじっくりと待つか、そういう選択を迫られているとも言えなくはない。ただ、一番やってはいけないのは、世間や他人の言葉を基準に行動すること。こればかりは、どんな結果に至ったとしても自分を責めるしかできない。

 自宅療養を要請した政府への批判は新たな方針へと転換することとなり、家庭内感染は避けられないということを認めざるを得なくなった。こういう状況を見ても、ひとり暮らしをしている人であれば感染リスクは下がるということはわかる。

 ただし、一人で家に引きこもって数カ月と過ごしていると、足腰が衰え、運動不足故に体調を崩してしまう。人との接触を避け、適度に外を歩き回るくらいのことはしておいたほうがいいと個人的には感じた。

 だから、買い物をする時でも、およそ二日間程度の食糧の購入に留め、週3~4回くらい買い物に出歩くくらいの設定にしておき、1回の買い物で一週間分もの買い物はしないようにしている。

 保身に走るということは決して悪いことではない。でも、その判断材料として世間を基準に流されるような行動、誰かが言っていたからという理由で選択する行動では、保身に走ったつもりが自らを危うくする結果に至ることもあるのだと自覚しておかなくてはならない。

 そういう意味でも、コロナ禍は多くの気付きを得られる。仕事を失ったくらいでは揺るがない精神力も持っておかないといけないけれども、誰もが言いそうなこと、誰もが信じそうなこと、そういうことが役に立たない状況であるならば、楽にのんびり過ごせばいい。

 結局生き延びるのは、繊細で敏感で悲観的な人間よりも、鈍感で図太い楽観的な人間だ。菅総理を楽観的だと批判する国民やメディアは要注意。

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