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自分だけができないのかもって思った時に読んで欲しい息継ぎの話

「自分だけ」と思うことないだろうか?

「自分だけできてないのかな」とか、
「自分だけ苦手なのかな」とか。

「どうして自分だけ」と自分を責めることはないだろうか。


そんな時、ふと思い出す景色がある。

舞台は南国パラオ。世界中のダイバーが憧れるこの場所で、体験ダイビングを申し込んでしまったときのお話。


それまでシュノーケルすらしたことがなくて、パラオにきて初シュノーケルして、盛大に海水を飲んだ。合計で、5リットルは飲んだんじゃないだろうか。クジラもびっくりだ。

この時、一緒にシュノーケリングツアーに参加したフランス人のおじさんは、プールで使う水中眼鏡とお手製の筒みたいなのもので参加していた。「男の中の男」だと思った。山根会長もびっくりだ。


シュノーケルをして海の楽しさを覚えてしまったためか、僕は勢いあまって体験ダイビングに申し込んだ。

この時まで、酸素ボンベだけで海に潜るなんて特殊能力を持った人のなせる技だと思っていた。あれはきっと修行や特殊な訓練を受けたものにしか許されないものなのだと、信じこんでいた。

少なくとも「精神と時の部屋」での修行くらいは必要だろうという認識だ。
(精神と時の部屋がわからない人は今すぐ『ドラゴンボール』を全巻読破して欲しい。こんなエッセイを読んでいるよりも、よっぽど有意義な時間が過ごせること間違いなしだから。)

「海猿」の影響も大きい。
伊藤英明と中村トオルが懸垂対決したシーンは今でも夢に出てくるくらい印象に残っているが、あれくらいの訓練をへたものにしか海の底に潜るという芸当はできないものだと思っていた。

ところが、体験ダイビングなるものがあるらしい。ライセンスも何もいらないし、フリーザとの死闘をへていなくても、懸垂が一回もできなくてもいいらしい。なんてこった、参加するしかないだろ。という流れで、即刻申し込んだ。

しかし、申し込んでからだんだん怖くなってきた。生きて帰れるのだろうか?海の中で酸素がなくなるとか、サメに食べられるとか、もしくは気圧の変化に耐えきれず耳がちぎれるとかはないだろうか?怖い。

前日の僕は怖すぎて、「走馬灯の見方」をグーグルで調べていたくらい情緒不安定だった。


そして、いよいよ本番の日。ダイビングショップに向かう。
ショップにはミヤさんという明るい女性が待ち受けていた。彼女は日焼けしていて、健康的で明るさがアンミカだった。
もう、彼女のことをアンミヤと呼ぼうと思うくらいに、明るさがアンミカであった。

どうやら今日の体験ダイビングは、ミヤさんが一緒に潜ってくれるらしい。非常に心強い。

想像して欲しい。新しい何かに挑戦しようとするとき、隣にアンミカがいて励ましてくれる場面を。
人は、隣にアンミカさえいれば、エベレストにだって登れるし、新しいITベンチャーを起業して、中条あやみと結婚することも可能だろう。(あやみロス)なんならこのご時世に、電話ボックス事業を始めることもいとわないかもしれない。
ミヤさんが一緒に潜ってくれるというのは、そういうことだ。

体験ダイビングには、僕と妻以外にももう2組のカップルが参加しており、合計で6人の参加のようだ。ほとんどの人がダイビングは初めてだそうだが、ひとりだけライセンスを持っている強者がいた。自分はライセンスを持っているが、彼女が初めてだから一緒に体験ダイビングに参加したらしい。

一通りの説明や用具の装着が終わり、いよいよ海に入ることになった。まずは浅瀬で酸素ボンベを使った呼吸の練習からである。

足のつく浅瀬で酸素ボンベをくわえ、顔だけ海につけて呼吸をする。
ムッチャ怖い!「海で呼吸ができるわけがない」という固定概念が僕の頭を支配しにかかる。
あの瞬間に、脳内メーカーで僕の脳みその中身を判定したら、9割が「海では呼吸できない」で、残りの1割が「死」だったと思う。

それにしても、本当にうまく呼吸ができなかった。酸素ボンベから酸素を吸いこんでいるはずなのに、呼吸が苦しい。やはり、中村トオルとの訓練をへていないことがあだとなったようだ。

シュノーケルで海水を大量に摂取したのに、なんで体験ダイビングを申し込んだんだ、昨日の自分。昨日の自分にドドンパを3発ほど打ち込んでやりたい。
(「ドドンパ」がわからないあなたは、『ドラゴンボール』を今すぐ読んで欲しい。こんなエッセイを読んでいるよりも1200パーセント有意義な人生になるはずだ。てか、さっき読めって言ったよね?まだ読んでないの?魔貫光殺砲くらわすよ?)


息が続かなくなり、思わず海中から顔をあげる。周囲を見渡すと、みんなは海に顔をつけたままだ。

あー死んだ。特殊な訓練は必要ないものの、きっと僕には何かが欠如していて、酸素ボンベで呼吸ができない身体なんだ。
肥満だからかな。100キロを越す巨体は、酸素ボンベで呼吸ができない仕組みなんだ、きっと。100キロ超えは才能という、謎の迷信で僕を励ましてくれる人がたまにいるけど、あの才能と引き換えに、僕は酸素ボンベで呼吸するという技能を失ったのだ。

とりあえず「もう体験ダイビングやめます」と言おう。今すぐに、僕は体重が100キロであることをアンミヤに申告し、酸素ボンベで呼吸する機能が失われていることを理解してもらい、体験ダイビングを僕だけやめさせてもらおう。

ただ・・・これは新婚旅行だ。ここで僕だけやめて、妻だけ体験ダイビングに行ったら・・・。成田離婚の可能性も十分にありうるぞ。確かに、「病める時も、健やかなる時も、富める時も、貧しき時も、愛し、敬い、慈しむ」ことを誓った二人ではあるものの、「酸素ボンベで息ぎができないとき」とは牧師さんも一言もいってないし。

というか、単純にすごくダサくない?
「パラオに行ってさー、息ができないのが怖くて体験ダイビング途中でやめちゃったんだよねー」って、すごダサエピソードじゃない?飲み会で言ったら笑いにすらならず、ひかれるくらいのすごダサエピソードじゃない?

葛藤に次ぐ、葛藤。海の中で酸素ボンベをくわえながら、こんなに葛藤することになるとは、思いもよらなかった。


また顔をあげる。周囲を見渡す。誰も顔をあげていない。「あーもうダメだ。飲みに行ってくれる友達を全員失ってでも、今すぐダイビングをやめよう。」そう覚悟を決めたとき、ミヤさんが僕の横に寄ってきてアドバイスをくれた。

「吸うことばっかり考えちゃダメ。まずしっかり息を吐いて。これがコツだから。」

ミヤさん曰く、酸素ボンベを初めてくわえた人間は、どうしても息を吸うことに意識を取られがちで、必死で息を吸おうとするから呼吸がうまくいかないらしい。
息は吐かないと吸えないのだ。こんな当たり前の事実すら忘れるくらい、いっぱいいっぱいだったのだ。

そのアドバイスに従い、息をしっかり吐くことに意識をフォーカスした結果、、、


余裕で息ができた。

やはりもつべき友は、アンミカとアンミヤである。

さぁいざ本番である。船でポイントまで行き、ミヤさん先導で潜ることに。初めて見た海の中の景色はとんでもなく素晴らしかった。この世にまだこんな見たことも感じたこともない世界があったのかと心底感動した。ただ、今回は初めて潜った感想は、関係ない話なので、それはまた別の機会にすることにしよう。



さて、体験ダイビングを終えて、同じように体験ダイビングをした皆さんと話をしていると、全員が息継ぎの練習の際、怖くなって顔をあげていたという驚愕の事実が判明した。


実は、みんな少なくとも1回は顔をあげていて、その時周囲を見渡しても、誰も顔をあげていないので、体験ダイビングをやめようかどうしようか悩んだらしい。つまり、顔をあげる瞬間が人それぞれ偶然に違っただけであり、全員が同じ葛藤にさいなまれていたというわけである。


「自分だけでは?」は、もしかすると「自分だけじゃない」のかもしれない。
「自分だけが苦手なのかな」って思ったり、「自分だけだ!どうしようー」となっているとき、周りも同じ葛藤をこっそり抱えているかもしれない。

あの人も、同じように悩んでいたり、内心焦っていたりするかもしれない。今はなんなくこなしているあの人も、過去にそういう経験があって、大きく息を吐いてから再度やってみることを、誰かに教えてもらったのかもしれない。


大きく深呼吸。

いやになる前に「私だけですかね?!」って、周りに聞いてれば?その先には、素晴らしい景色が広がっているのかもしれないよ。


体験ダイビングの最後、海中の魚に、夢中になっていた僕の肩をミヤさんがぽんぽんと叩き、海面を指さした。
上を見上げると、そこには海面から光がさしこんで、とても神秘的で素敵な光景が広がっていた。





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