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自分は今何がしたいかわからない人へ

自分探しをしたことはあるだろうか?

なんだか、恥ずかしい言葉だけど、自分が何者か知りたい願望はみんなにあって、その答えを見つけたい人はたくさんいると思う。

見つけたくない人もいて、見つからない人もいる。

ただ、そこには数学みたいに明確な答えがあるわけでもなく、数学者が解法を示すように、あなたはこういう人だよとは、誰も教えてくれない。

そんなもの、誰かに決められてたまるかという気持ちがある一方、誰か教えてくれないかなー自分が本当に今やりたいことって思うこともある。


今回はそんな自分探しにまつわる旅の話。

自分探しはなんとなく恥ずかしいし、そんなものしても意味がないという声もよく聞くけれど、まぁ少しだけ自分というものを理解できる方法があるとすれば、それは世界のいろんなところを旅するという作業だ。


そもそも自分探しってなんなんだろう。その答えをまずは定義しておく必要があるのかもしれない。

ここでいう自分探しとは、「自分の現在地」を知ることだ。


ますます抽象的な話になってしまったけれど、もっと簡単にいうと
「自分は今何が好きで、何が嫌いで、何が得意で、何が不得意か」を知ることが、自分の現在地を知るということが、ここでいう自分探しだ。


うさんくさい話でも、熱っぽい人が語る自分を探せー!!っていう理想論的な話でもない。
要は、「自分が好きなことや嫌いなこと、好きなことや不得意なことを知っておいた方が、なんか人生幸せに生きられそうじゃね?というか好きなことに時間を割く方が、人生有意義じゃね?」って話だ。

ちなみに、僕は「○○じゃね?」っていう人が大嫌いだ。これは自分探しをしなくても、わかる。


さて、旅をすると確実に自分の好きなこと、嫌いなこと、得意なこと、不得意なことがはっきりする。

例えば、僕が世界一周して、これには全然興味がないと思ったことは「芸術」だった。

世界一周中、パリにもいったし、オランダにもいった。アメリカにもいったし、スペインにもいった。

そこには有名な美術館や建築物がたくさんあって、芸術好きの人たちからすれば、それはそれはヨダレを垂らしても垂らしても、まだ足りないくらいの作品もあるのだった。


ルーブル美術館、ゴッホ美術館、MOMA(ニューヨーク近代美術館)

その街に行ったからには、そういう有名な場所に足を運ぶわけだけど、それはもう、僕にとってはなんだか退屈な時間だった。(アート好きの人、本当ごめんなさい。僕は絵心が3歳で、ベレー帽がとんでもなく似合わないので許してください)

モナリザの前に立ったときも、ピカソの絵を見たときも、世界遺産の遺跡を見た際も
「あーこれが有名なやつかー」
としか思わなかったのだ。
(アート好きの皆さん、許してください。僕は粘土でみかんを作っているさいに美術の先生から「くりを作るんだったら、くりを持ってきなさい。みかんじゃだめだ」と言われたことがあるので、どうかお許しください。)


横にいる妻は美術館に1日中いれると言いはり、どの絵を見てもいたく感動し、早く美術館を出ようとする僕にうんざりしていたが、それよりも僕は美味しいクロワッサンを食べている時の方が楽しかったし、カリブ海をはじめて見た時の方が感動したのだ。


そうやって、僕は旅をすることで、自分の嫌い(興味がない)に出会ったわけだ。


逆に、海辺にいるときは異様にテンションが高くて、かつてなく心が騒ぎ、孫悟空の「おら、ワクワクすっぞ」状態であることが判明した。

そして、島という場所が一番リラックスできる場所であることも、明確に実感した。どうして島が好きか言語化するのは難しいけど、とにかく島にいると心の底からリラックスできるのだ。


また、旅の中で写真を撮ることは、妻の方が得意であることも判明したし、僕の場合は、旅の近況を報告する文章を「面白い」といってもらえることが多かった。

もちろん上には上がいる。圧倒的に上がいる。そんなことは百も承知だけど、僕は写真より文章が得意で、文章を書くのが好きだということに気づけた。


どうやら僕は、事前に計画が立っている方が楽しめるし、多くの場所に行って観光するよりも、何か一つの決めたところでのんびりすることの方が好きなのだということも旅をとおして知った。

そういうことが知れたのは、旅に出ていろんな体験をしたおかげだ。


だから、旅で自分探しなんて気恥ずかしい話じゃなくて、旅をして自分の現在地を知ることが、旅の効能なんだと思う。


だから、なんとなく人生に迷っている人には、旅に出て欲しい。
そんなことでしかまとめられない、単純な内容にどうしてもなってしまうけど、これは本当に効果があって、あなたも何かに迷うことがあるなら、それに関する場所に一度いってみることで、あなたがそれに向いているかどうなか、感覚的に理解できるかもしれないということが言いたいわけだ。


「文章が少しだけ得意!」とドヤ顔で書いたにもかかわらず、可もなく不可もなくみたいな文章を書いてしまったことを今すごく反省しているが、結局のところ最後に言いたいことは「さぁ、旅に出よう」だ。

結論のセリフもダサい。すごい背中のあいたタンクトップくらいダサい。

やりたいことを一度やってみればいいし、あわなければやめればいい。

そうやって、自分の現在地が知れたり、アップデートされていくことこそ、人生の醍醐味であり、旅の醍醐味でもあるのかもしれないなー。

なんて、ガラにもなく真面目なことを書いてしまったので、次は何かふざけたことを書こうと思ったしだいです。

ちなみに、そんな真面目な自分を戒めるために、アイキャッチ画像も、ゲロダサ写真を使ってみました。どうかご査収ください。


どうも、ありがとうございました。







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