スリランカで赤いシャツのムキムキと出会った
赤いシャツを着た、ムキムキは信用した方がよい。彼らは間違いなくいいやつだし、ちょっとシャイだし、去り際も格好いい。
何を言い出したんだ?こいつ。
と思われた方、
僕は、その日、スリランカで、世界の厳しさと優しさに両方出会い、結局世界は優しいところだとあらためて気付かされたんです。
あなたはスリランカに行ったことがありますか?
乗車率100パーセントを超えているであろう、列車に揺られたことはありますか?バックパックをかついで、1時間以上。
世界一周中に、スリランカへ立ち寄りました。
ちなみに、スリランカの空港では、多くの空港でデューティーフリーの商品が売っているエリアで、家電がたくさん売られています。
「あ、あの人へのお土産買うの忘れてた。仕方ないからここで、洗濯機でも買って行くか」となった時に便利ですね。
誰か空港で家電を売る理由を教えてください。教えてくれたあなたには、スリランカ産の美味しい紅茶を送ります。
さて、話を元に戻そう。
世界遺産のシーギリアロックを観光し、キャンディというおじさんが口にするのもはばかられる可愛い名前の街から、コロンボという50代のおじさんが集まっている喫茶店のような名前の街へ戻るときのことでした。
列車に乗って帰ってみようということになり、キャンディからコロンボへ行く列車の2等席を購入。
ホームで列車をのんびり待っていると、スリランカ語でアナウンスが。全く聞き取れず、呆然としていると、なぜか地元民たちが僕らが列車に乗るはずだったホームから、別のホームへ荷物を持って爆走していきます。
ん?どうした?バーゲンセールでも始まったか?
と呆然としていると・・・
地元民たちが目指すゴールのホームへ誰でも一度はテレビで観たことのあの列車がやってきました。窓から人が飛び出して、屋根にも人が乗っちゃっているみたいな列車です。
幸い、この日は屋根に人が乗っていることはありませんでしたが、冷静に計算したところ、乗車率は124パーセントほど。暴走の目的は、これ。この乗車率 124パーセントの列車に、なんとかして乗り、座席を確保するため。
当然、バーゲンセールに乗り遅れた僕らが列車の着いたホームへたどり着いた時には座席はすべてうまっている状況。というか、入り口付近まで人だらけ。
おかしい。2等席とか、1等席っていう概念が崩壊している。
しかし、世界では文句を言っていても何も始まらない。妻と2人でなんとか列車に乗車します。
ただ、、僕のバックパックは完全に入り口から外へはみ出している。そもそもなぜかドアもない。そのまま何事もなかったかのように動きだす列車。
なんとか、入り口近くの手すりにしがみついて、落ちないように踏ん張ること1時間。外にはみ出したバックパックはなんども線路沿いの草木にあたり、さわさわと音を立てています。もう心はざわざわ。ざわわ、ざわわ。
いや、森山良子に思いを馳せている場合ではない。このまま手すりをはなせば、僕はそのまま列車から落下。そのまま、天に召されることになってしまう。
そして、とうとう僕の腕にも限界がやってくる気配。
「次に停まった駅で降りよう。」
そう決めてから約15分。なんとか森山直太朗の「生きとし生ける物へ」を頭の中で無限ループさせながらこの危機的状況を乗り切り、下車。
でも、ここがどこだかまったくわからない。この日、コロンボまで行って飛行機に乗らなければいけない僕たち夫婦には、こんなところで阿藤快ばりに「ぶらり途中下車の旅」をやっている暇はない。
なんだかなあー
ということで、なんとか近くにいた駅員さんをつかまえて、ここからコロンボまでの行き方を確認することに。
すると、どうやら次にくる普通列車に乗れば、コロンボ近くの町までいけて、そこからバスを乗り継げば空港にたどり着くとのこと。ナイス駅員さん。
そしてやってきた列車。がら空き。。計算したところ、乗車率は62パーセント。一体さっきの列車はなんだったんだ?
なんだかなあー
列車がくると、先ほどの駅員さんが一緒に電車に乗り込み、近くにいた乗客をつかまえてどこまで行くかを確認し、僕らが降りる駅になったら教えてあげるよう、話をつけてくれました。
おい、待て。あなたはなんなんだ?バファリンか?いや、半分以上優しさでできているだろう?あなたの8割が優しさで、残りの2割が駅員だろう?そうだろう?いや、それもなんか失礼だな。
これだけ駅員として立派に仕事をしてくれたのに、2割しか駅員じゃないみたいな言い方になったな。じゃあもうあなたはバファリンということでいいか?いや、良くないか。
そして、駅員から我々の命運を託された男。それが「赤いシャツのムキムキの彼」なのである。
彼は一人で電車に乗っていて、僕らからは少し離れた席に鎮座していた。そしてなにより、その肉体はたくましく鍛え上げられていた。
赤いシャツがはちきれんばかりの、胸筋。赤いシャツの袖から飛び出す腕の太さ。
「胸がケツみたい!」
「大胸筋が歩いてる」
「二頭がでかい!ダチョウの卵」
と、どこかから掛け声がきこえてきそうな、レベル。
そんな彼は、こちらに話しかけてくることはせず、ただただ駅がくるたびに、子犬のような目で見つめる僕と妻と目を合わせ、首をふるばかり。
少し不安になりながらも、彼を信じ続けること10駅以上。ようやく彼がその鍛え上げた腕の筋肉をフルに使い、ドアの方向を指差す瞬間が訪れました。
どうやら次が我々が降りるべき駅らしい。彼の近くに行き、お礼を言おうとしたところ、彼も立ち上がり、ドア付近まで移動している。
どうやら彼も同じ駅で降りる予定らしい。
僕らはまずお礼を言って、彼の近くに佇んでいた。ちなみに、彼はすごくシャイなので、お礼を言ってもはにかむだけ。
駅から出ると、彼は僕らをちらちら気にしながら付いてくるように視線で促してくれます。英語が話せないのか、シャイなのか。
彼に付いて行くと、そこはバス停。バス停に付いた赤いムキムキ(大胸筋が歩いてる!)は、1つのバスを指差し乗るように促してくれます。
言われるがままに、バスへ乗り込む僕と妻。赤ムキ(上腕二頭筋ナイス!チョモランマ!)もバスに乗り、僕らとは離れた座席に座り、こちらの様子をうかがいながら、時折視線が合うとはにかむなどしてくれています。
どうやらとことん、行き先が一緒らしい。
それにしても、本当に優しいムキムキ(胸がケツみたい)だ。ただ単に、降りる駅を伝えて、一緒に降りて終わりにしてもよかったはずなのに。次に乗るバスまで教えてくれるなんて。
そして、バスは出発し、何個目かのバス停に着くと赤いムキムキが僕らを促してくれます。そして、一緒に降りてくれる赤いムキムキ(腹筋板チョコ!)
また、彼と同じ停留所だった。
どうやらここでバスを乗り換える必要があるらしいようです。ただ、彼もどのバスに乗れば、空港までいけるのかはっきりしないようで、近くにいる人に聞きながら僕たちを次のバスまで案内してくれます。
最後は、バスの運転手に片っ端から声をかけ、どのバスが空港まで行くかを確認してくれました。
そして、運転手にお願いして、僕たちの大きなバックパックを荷物入れに運び込むようにお願いしまでしてくれたようで、運転手に促され、バスの逆サイドのトランクに荷物をつめこむ僕と妻。
ふと、先ほど赤ムキがいた場所に戻ると、赤ムキの姿はありません。車内にも、近くのバスにも。僕と妻はどうしてもお礼が言いたくて、赤いシャツを探すけど見つからない。
そこでふと気づいた。
「本当に赤いムキムキは、僕たちと同じ行き先だったのだろうか?」
もしかしたら降りる駅も違ったのかもしれないし、お金を払ってまで同じバスに乗ってくれたんじゃ?
最後に別れたバスの停留所で、バス停までの道を通行人に聴きまくっていた赤ムキ。その場所に土地勘なんてなかった。きっと、降りるべき停留所では無かったはず。
夕暮れどきのバスに揺られながら、僕と妻はそんなことをずっと話してました。彼にお礼が言えていない。それ以来、僕と妻は、赤いムキムキの彼を世界中で探している。向かいのホーム、路地裏の窓、こんなとこにいるはずもないのに。
(山崎まさよし 『one more time one more chance』より引用)
テレビでカズレーザーを観るとドキッとしたりもする。
話を元に戻そう。
赤いムキムキが去ったあと、バスは空港に無事に到着した。でも、どうやらそこが終着点ではなかったらしい。
ただ、そこまで赤いムキムキの彼(プロポーションおばけ)は気を回してくれていたらしく、空港近くの停留所にバスが停まると、運転手が僕らに声をかけ、荷物をトランクからおろしてくれた。
結局、運転手もすごいいいやつだった。「グッドラック」となまった英語で発音し、停留所から空港までの歩き方を教えてくれた。まだバスには他のお客さんが乗っていて、待たせているにも関わらず。
あぁ、もう僕はとことん、スリランカの人に助けられたのだ。
僕と妻は助け合いのリレーのバトンになったわけだ。
駅員さんが僕らを赤ムキに託し、赤いシャツのムキムキの彼が長い距離を走りきって突然フェードアウトしてしまったかと思ったら、最後はバスの運転手がちゃんとゴールまで僕らを送り届けてくれた。
とことん助けられたのだ。
助け合とは、誰かと誰か、二人がお互いに助け合うことばかりじゃない。
誰かが誰かを助けたら、次の人がまたその誰かを助け、そのうち助けられた人がまた違う誰かを助けることも、助け合いなんだ。
そうやって、誰かが誰かからバトンを繋ぐように、助け合うことができれば、もう少し世界は優しくなれるんじゃないか?
いや、もうすでに世界は優しいのだ。スリランカ以外の国でも、僕と妻はたくさんの人に助けられた。
次は、僕に託されたバトンをちゃんと握りしめて、誰かが困っていたら、そっと優しく手を差し伸べて、そのバトンを次の人に託せるような生き方をしていきたいなと気付かされたのが、僕と妻のスリランカの一番の思い出です。
サポートしていただいたお金は、旅の資金に回し、世界のどこかであなたのことを勝手に想像してニヤニヤしたりなどします。嫌なときは言ってください。