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究極の朝ごはんってなんだろう?
「朝ごはん」というものに、惹かれてしまうのはなぜだろう。
朝ごはんというものにはどこか優雅な響きがあって、何をしても許される響きがある。
夜には絶対食べてはいけない、フレンチトーストやパンケーキが、食べられるし、美味しいカフェオレも飲める。
なんなら今日は和食にしてもいい。
朝ごはん、あぁ朝ごはん。
「あぁ夏休み」みたいになってしまった。
「朝ごはんバイキング」 この世で一番優雅な響き。デヴィ夫人には僅差で負けているので、この世で2番目か。
朝ごはんをバイキングできるなんて。
ケロックのコーンフレークしか選択肢がない、平日の忙しい朝の中学生の朝食とは違うのだ。
何を食べてもいいんだ。パンでもご飯でも。ウィンナーでも、謎の小さい焼き魚でも。
「バイキング」ではなく、今風に「ビュッフェ」と呼んでもいい。
そうすると、より優雅さが増して、とうとうデヴィ夫人に僅差で勝てるくらいになってきた。
ビュッフェをバッフェと呼ぶ人もいるそうだが、今はそんなことはどうでもいい。
ただ、デヴィ夫人は「バッフェ」と呼んでいそうだ。
違う、違う、そうじゃ、そうじゃない。ビュッフェとバッフェの違いはどうでもいい。
朝食バイキングの話をしていたら、なぜか鈴木雅之に出会うことになってしまうとは。
今は、朝食バイキング(ビュッフェorバッフェ)がいかに最高かって話だ。
いや、ひいては朝ごはんというのが、どれだけ素晴らしいものかという話だ。
朝ごはんがゆっくり食べられる日は、すこぶる気分が良い。春の日差しになってくると、テラス席で朝ごはんとか食べて朝をより優雅に過ごしたくなる。
「今日の朝ごはんは何にする?」という会話が「きれいなお姉さんは好きですか?」という会話の次に好きだ。
それくらい、朝ごはんに惹かれている。
多くの人もそうじゃないだろうか?
「朝ごはんに好きなものを、ゆっくり食べられることこそ本当の幸せ。」
みたいなところないですか?
本当の幸せ教えてよ〜♪と歌い上げる、徳永英明にも教えてあげたい。
ただ、そうすると1つ、大きな疑問がわきあがってくる。
「この世で一番、人を幸せにさせる朝ごはんってなんなんだろう?」
かつて、オーストラリアのbillsで「世界一の朝食」と称された朝ごはんを食べた。
それはそれは美味しかった。とても幸せな時間だった。
ただ、本当にこれが世界一なんだろうか?
世界にはいろんな朝ごはんがある。イングリッシュブレックファースト、コンチネンタルブレックファースト。アメリカンブレックファースト。台湾の朝ごはん、などなど。
家庭の数だけ、いや、人の数だけ、朝ごはんはあるといっていい。
そんななか、究極の朝ごはんってなんだろう?
というわけで、美味しい朝ごはんをたくさん食べて幸せになりたいので、「究極の朝ごはんを求めて」シリーズを勝手に開催しようと思う。
この35年間、究極の朝ごはんとは何かを考えてながら生きてきた僕が、いろんなモーニングに出向いたり、テイクアウトしたり、時には自分で作ったりしながら、究極の朝ごはんに出会うために研鑽を重ねてつつ、その過程をエッセイにしていこうと思う。
今、勝手にしやがれと思ったそこのあなた。
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というわけで、最後の曲は「勝手にしやがれ」になりました。
皆さんも、おすすめの朝ごはんあればいっぱい教えてください。
サポートしていただいたお金は、旅の資金に回し、世界のどこかであなたのことを勝手に想像してニヤニヤしたりなどします。嫌なときは言ってください。