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電車の中で読書よりも、高尚なことをしている人がいた

車内で周囲を見渡すと多くの人がスマホを眺めている。

あとは居眠り。

なかには、ずっと一点を見つめて何かを考えている人もいる。いや、もはや彼は何も考えていないのかもしれない。

そんな中で、僕はカバンからそっと文庫本を取り出す。


その瞬間、僕の顔は完全なドヤ顔になる。

みんながスマホという文明の力を使い、情報に踊らされている間に、僕は読書をする。

みんながブルーライトを浴びている間に、僕は活字を追う。

もちろんわかっている。冷静に考えれば、それは大したことじゃない。


あの眼鏡の女の子はスマホで読書をしているかもしれないし。
あのスーツの男性はNewsPicksで最新のニュースを追っているかもしれない。

オールバックな彼のメガネは、ブルーライトを全部カットしてくれるメガネかもしれない。


それでもなぜかどうしても、文庫本を取り出すときにドヤ顔になってしまう。

読書といっても、僕が今読んでいるのは『論語』とか『SLUMDUNK』みたいに高尚な本ではない。

では、何かと聞かれると答えるのははばかられるが、いわゆる純文学だ。

僕は家のベッドの上で、スマホでYouTubeを観ていることもあるし、インスタのキラキラしたストーリーを追って、ええなーと思うこともある。

最近よくインスタで激痩せ料理の作り方が流れてくる。アルゴリズムに踊らされている。

でも、ええんや。とにかくこの電車では、文庫本なんや。ドヤ顔してしまうんや。非常にダサいが、それでいい。

そんなことを思いながら、文庫本から顔をあげ、周囲を見渡すと、隣の中学生は参考書で必死に英語の例文を覚えているではないか。すでに負けの予感がプンプンしてきた。



そして、

目の前に立っている彼はなんと、国語の教科書を読んでいる!!

ありますか?電車の中で、国語の教科書読むこと?
英語ならわかる、社会もわかる。理科や数学もギリわかる。


国語って、本文載ってるだけやん。勉強ならんやん。

タイトルは「現代の国語」だ。表紙は謎の青いラインで構成されている。あれ。


もしや彼は勉強するつもりで、広げているのではないのだろうか。

名作を網羅するつもりか。高尚すぎる。論語より、スラムダンクより高尚だ。

彼は僕の目の前で、国語の教科書を無言で読むことで

「文庫本のお前には味わえないと思うが、俺は様々な作者のいろんな考え方に少しずつ触れることで、多様性までも味方につけ、時代の変化にも順応しつつ、古典的名作にも触れることで、過去とも対話し、あわよくば漢字という日本が育て上げた、今や欧米にも強い憧れを抱かせる文化を復習し、登場人物の細かい心情を探ることで、人生の機微を学んでいるのだ」

と訴えかけてきている。


文庫本でドヤ顔していた自分が恥ずかしい。

明日からは皆、国語の教科書を持ち歩いて欲しい。あれはなかなか重いぞ。それでも、その価値はある。


僕は、圧倒的な敗北感につつまれ、思わず席をたった。


そして、スマホを取り出し、文明の力を使い、情報に踊らされながら、この文章を書き上げた。


その隣で、小学生が図鑑を読んでいる。


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