監査は誰のためか
突然どうしちゃったの???というようなタイトルですが、大まじめに私見を論じます。監査人だけでなく、監査を受ける方々も、監査の結果を利用する立場の方々にも考えていただきたいテーマです。
監査法人で30年強、うち17年をパートナーとして勤めた「てりたま」です。
このnoteを開いていただき、ありがとうございます。
監査は誰のためなのか?
「会社は誰のものか」という議論があります。
制度上、会社の所有者は株主。ゆえに「会社は株主のもの」、とすぐに決着しそうです。
ところが、株主だけでなく、顧客や従業員など幅広い関係者も含めたステークホルダーのものだ、という考え方もあります。
これは株主資本主義 vs. ステークホルダー資本主義と言われています。
株主資本主義論者の多くは、株主だけが常に優先されるべきだと言っているわけではありません。ほかのステークホルダーを優先することがあっても、回りまわって株主を利することになれば、株主資本主義と矛盾しないことになります。
「監査は誰のためか」もこれにちょっと似ています。
制度の立てつけ上は、監査人が監査によって保護すべきは投資家と債権者。異論の余地はなさそうです。
しかし私はあえて「クライアントのため」と主張しています。
「クライアントのため」とは?
「クライアントのため」と言っても、クライアントに迎合し、耳触りの良いことばかり言う、ということではありません。
クライアントの管理体制の問題を指摘し、改善を促し、改善状況もチェックすることで、クライアントによりよい会社になっていただくことが「クライアントのため」です。
これは、結果として投資家や債権者のためにもなっています。
クライアントの執行部と監査人との間で、会計処理、開示、内部統制などを巡って意見が激しく対立することがあります。この状態で、「クライアントのために監査をしている」とは考えづらいかもしれません。
「クライアントのため」というときの「クライアント」は誰のことを指しているのか、が問題です。
ここでいう「クライアント」とは、特定の個人を指していません。
監査を受ける会社の総体をイメージしているのですが、言葉を変えると「社会の公器であるクライアント」とも言えます。
「社会の公器であるクライアント」とは?
多くの日本の会社が、経営理念やその説明に「社会の公器」という表現を使っています。
定義はさまざまですが、おおむね、会社とは社会が用意した器で、その器を使って社会に貢献することを期待されているもの、と考えられます。
「社会の公器であるクライアント」のために監査をしているということは、次のことを意味します。
その会社の役員や従業員もクライアントを形作る重要な要素だが、今の役員・従業員だけでなく将来の人たちも同様に重要である
クライアントは社会に貢献するために生かされている存在であり、監査を通じてよりよく、より長く貢献することを助けることができる
クライアントがよりよく、より長く社会に貢献できることは、投資家や債権者の保護にも直結する
心ある経営者は、自分が去っても後輩たちによい会社を残したいと考えています。また、後輩たちが会社を発展させ、社会に対してより大きな貢献を末永く継続してくれることを願っています。
監査人は監査を通じて、クライアントが社会に対してより大きな貢献を持続できるように伴走する。それが監査による社会への貢献だと考えています。
おわりに
言うまでもないですが、ここに記載した考え方はてりたま独自のもので、いかなる組織の意見でもありません。
かなり前から考えていたことですので、一般的な意見でないことは承知の上で文章にしました。
最後までお読みいただき、ありがとうございます。
この投稿へのご意見を下のコメント欄またはTwitter(@teritamadozo)でいただけると幸いです。
これからもおつきあいのほど、よろしくお願いいたします。
てりたま