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若宮のお社で
柔らかな日差しがぽかぽかと、小さな庭に降り注ぐ。
小春日和のその庭に、次々集まる仲間たち。
足音ひとつ立てないで、やあやあみなさんこんにちは。
本日誠にお日柄もよく、いいお日和でございますねとピンピン尖ったひげの先、お澄まししながらやってきて、あったかお日さま見えている、若宮さんのお社の、お庭でのんびりお昼寝を。
むかぁしむかし、その昔。今を生きてる人たちも、かの大宮にそびえたつ、梢も高きあの木々も、だあれも知らないころからの、ふるういふるいまほろばの都。
都の中のはずれに近い、鎮守の大宮ある前に、小さな小さな社が一つ。
白い壁に朱の柱。神が住むにはいささかに、小さなものじゃないのかと、首をかしげてしまいそう。けれど人には分からない、優しい神が住んでいる。
ふにゃあと小さな白猫が、ちいちゃなお口をくわりと開けて、ほこほこあくびをしています。
真白な背中に土がつき、けれども子猫は気にはせぬ。ころころ背中をのびのばし、お陽さんくれる暖かい、ひまわりみたいなあの光、いっぱい浴びて笑います。
それは小さなお社の、横ちょにぺたりと鼻をつけ、ぷすう、ぷすうと眠るため。
おやおや君は暑がりか。そんな地面に尻尾付け、冷たい思いをしなくても、ここはとても暖かい。
そんな大人の黒猫が、のんびりのほのほ寝転がる。
それは、社のど真ん中。大宮様から、からんから。猫を三匹集めたほどの大きな大きな鈴があり、神を呼ぶためからんから、願いを聞いてとからんから、空高くに鳴る呼び鈴が、どどんと付いているはずの場所。
信心深い人の置く、若宮様へのお供えの、冷たい水がいつの間に、やっぱりお空の太陽に、ぬるういお湯にかえられて、ひっそりたたずむそんな場所。
綺麗な綺麗な黒猫は、白い子猫に自慢でも、するかのように尾を立てて、くるりくるりと回してる。
赤い舌にて前肢の、もういらぬ毛を抜き去って、ころにゃあ鳴きなき伸びをする。
そんなところに寝そべって、あれまあ社の若宮様が、お怒りをよくも下さぬものと、呆れた仲間の猫たちが、それぞれお好きな昼寝の場所で、不思議な緑の目を持った、綺麗な黒のおとなの猫を、羨ましげに眺めてる。
なんのこちらの小さな社、鎮座まします若宮様は、たかだかちっぽけな私のような、名もないただの不吉な色と、人に厭われ捨てられる、そんな不憫で何にもならぬ、猫なぞ気にも留めませぬ。
若宮様のお心は、いつでも我ら小さな猫の、ことなどまるで構いなし。
若宮様を忘れすぎ、いつしかその名も知らぬよう、過ぎゆく忘却の中に居る、人間たちに向いている。
ああ、なんと哀れな神さまよ。
太古の昔、若宮様は、きちんと御名を覚えられ、尊いからこそ口の端に、登らぬようにとひそやかに、伝えられてもいたそうな。
都のひとは、みなだれも、若宮様を尊んで、毎日お参りしたそうな。
いまではここに来るものは、小さな社のその前の、小さな庭に降り注ぐ、神の恩恵にも見える、あたたか光をその体、集めてのんびり昼寝をと、集まってくる猫ばかり。
ああ、なんと哀れな神さまよ。
はるか昔のその昔、都が遷れば人もなく、遠い向こうの山を越え、遷りし主をみはるかし、祈りをささげて地を守る。
そのお役目をまだ続け、人がその名を忘れても、神はやっぱり人を乞い、人のためにと生きている。
ああ、ああ、なんと哀れな神さまよ。
黒猫お前は賢いが、ならばこの小さなお社に、鎮守なされる若宮の、神の名を知っているのか。
まだら模様の雄猫が、昼寝をぱたんとやめた後、居住まいただし、社に向いた。
黒猫ちょこんと顔を上げ、もちろんそれは知っている。しかし我らはちっぽけな、かすかに生きる魂の、ほんの少しのあいだだけ、生きてるだけのただの猫。
その名を覚えているわけは、太古の昔のその昔、若宮様がまだ人に、ふかくふかあく祀られた、その時神が気まぐれに、助けた子猫の母親が、いたくいたく感謝して、子猫にずうっと語り掛け、忘れぬようにと言い聞かせ、母親思いのその猫が、母になってもその子らに、話して聞かせ、言い聞かせ、なんとも優しく尊い神よと、忘れず傍にお仕えせよと教えているからにほかならぬ。
ならばその名を我らにも、お聞かせ願おうではないか。
それまでそっぽを向いていた、とらじまの婆がよぼよぼとやってきたからにはたまげた物よ。
なあ黒猫よ、お前はそうだ。確かに賢く、素晴らしい。だからその身がちっぽけで、なんの力も持たぬゆえ、人に比べてみてもなお、我らのような畜生の、そのまた小さな猫などが、若宮様のお名前を、知ったところで何になる。
そういいたいのだろうけど、私はそうは思わない。
たかだか小さな猫だけど、私はもうすぐ死ぬけれど、お前が遠く、昔のことを、語り継がれてきた猫の、末裔なのがその証。
猫は集まる昼寝のために。勿論それだけじゃありやせん。昼に集まり夜に集い、猫は小さなことだとしても、忘れず仲間に語り継ぐ。
だからお若い黒猫よ。お社に住まう若宮様の、御名をどうか教えませ。
たかが小さな猫だけど、一匹ではなく千ならば、人の一人に購おう。
千で足りない物ならば、万でも億でも連れてこよう。
さすれば名もない若宮様の、御名はこれからさきずっと、いついつまでもこの世界、伝えていけることだろう。
なるほどさすが、ババ様だ。
それはなんとも良い案じゃないかと、猫たちにゃあにゃあ集まって、いまだ社の真ん中の、戸口の近くに座ってる、黒猫に向け騒ぎ出す。
そこまで言うなら、仕方なく、尊い神の御名をば、教えてやろうと黒猫が、優雅にすとんと降り立って、こそこそこそりと名を言えば、ふむふむなんと素晴らしい、さすがは神の御名なり。
嬉し恥ずかし神の名を、口に出してもこの通り、悲しい事に人間はみゃあとしか聞こえぬことであり。
やあやあ素敵なこの名前、唱えていたならさあたいへん。ふんわりお日さまその下に、小さな小さなお社の、朱色に塗られたお屋根には、猫たち知らぬばかりなり。若宮様が座ってる。
なんとも不思議な猫たちよ。畜生などと侮るなかれ。その身に優しい心あらば、神はきちんと知っている。
楽しく楽しく庭の中、ころころにゃあと、鳴き騒ぎ、通りをすがる人々が、怪訝な顔をしていても、知らぬは猫たちばかりなり。
微笑む神が、お社のお屋根の上で太陽に、笑って話すは秘め事よ。
我は若宮、神の名を、人が忘れてしまっても、この地を守る定めまで、忘れることはありはせぬ。
哀れと思う猫たちの、心はとても温かく、昼寝をするならせよとして、神は思召すばかり。
若宮の神が祀られた、小さな小さなお社は、不思議な黒猫たちがいて、いつでものんびり昼寝日和。
それを見守るお社のお屋根にひそり隠れてる。神の姿を見た者は、確かに確かに、空ばかり…。
あとがき
お題「猫」として書いた短編です。
モデルは、奈良に住んでいた頃、家の近くにあった小さな若宮神社です。一見すると町の神社で、宮司さんもいない廃れた神社でしたが、どうやら春日大社にとってとても重要なお社だったようで、住んでいるうちに、地域の方にとても愛されているお宮なのだと分かりました。
さてものんびりとした小さな若宮、わずかばかりの小休止。
お読みいただいたみなさまにも猫たちのようにくつろいでいただけますように。
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