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真夜中における罪

 
 
 罪の味は甘美だ。
 彼女を表現するには、いかなる言語も役に立ちはしない。
 蠱惑的な美しさとでも言うのだろうか。万物を捉えて離さないその優雅さ。一はけ塗られたシャドウが、大人びた演出として彼女を彩る。
 中央にある可憐な赤は艶めいて、一度口に含めば、何者をも虜にしてしまう魅惑の果実。
 禁忌だと分かって居ながら伸ばした僕の指先をパウダーが咎めるように白く染める。
 くるりと巻かれた黒は、少し伏せがちに見る者の目を誘惑した。
 触れることは禁忌。しかし、触れなければ彼女を知ることはできない。
 その全てを味わい尽くす罪は、確かにいかなる贖罪をも受け入れぬと、全てを承知の上で甘美を求める。罰はない。あるのは罪だけだ。
 彼女を包む全てを取り払い、ひんやりとした白の上に乗せる。
 赦されたことだ。罪深く、けれど彼女は僕にそうされるしかない運命にある。
 嗚呼、なんと甘美なことか。
 嗚呼、なんと罪深いことか。
 わたしは今から、君に残された最期の透明な砦を剥ぎ取ろう。
 ゆっくりと、君を損なうことがないように。細微に至るまで注意を払う。それが彼女に対する礼儀だと、弁えもせぬ人間ではない。
 少しづつはがれていくヴェールは、ありのままの君を僕に瞳に甘く映しだした。
 白の中に緋色がのぞく。ごくりと唾を飲みこんだ咽喉がゆっくりと上下した。
 そうっと、剥ぎ取ったヴェールを、捨てることはしない。これには彼女の残滓がある。全てが終わった後に、名残りを惜しむため、それは必要だった。
 わたしの手には、銀が握られている。彼女の白雪のような柔肌にそれを突きたてることを、わたしは今赦されたのだ。
 彼女は何も言わず、甘やかな芳香を乗せてわたしを誘い込む。わたしは、あたかも壊れ物を扱うかのように、ことさらゆっくりと銀を彼女に近づけた。鈍い輝きを持つそれが、まずは一欠けら、柔らかな表面に食い込んでいく。
 食んでしまえば、止まる処はない。
 わたしはただ、無防備な子猫のように。
 僕はただ、敵を知らぬ餓えた狼のように。
 彼女を食み、舐めて味わう。
 嗚呼、僕はただ、これだけのために生まれて来た。
 ひとに与えられた罪を、贖う術も持たず、抗う術も持たず、神に見放されることを承知の上で、彼女の持つ魅惑に捕らえられる。
 蜘蛛の巣にかかった蝶のようだ。
 摘まんだ指先の熱で、とろりと溶ける。
 嗚呼、なんと甘美なことか。
 嗚呼、なんと罪深きことか。
 わたしは今から君を喰らい尽くす。君の全てを口に入れ、味わい、舐め尽くして嚥下する。
 午前零時を過ぎた今日。
 背後で怒る母の声も、わたしの耳に届くはずはない。
「あんたね! ケーキくらい、静かに食べられないの!?」
 彼女に対する愛を囁くのに、時も理由も、必要はないのだから。




あとがき

1ページ縛りで書いた短編です。
「ケーキをいかに遠回しに表現するか」に挑戦したのですが、お分かりいただけましたでしょうか。
ちなみに、これは「ショートケーキ」がお題でした。


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