自活してお寺と地域を支える。河津の宿坊「禅の湯」の“育する”事業の狙いとは
河津桜で有名な静岡県河津町にある曹洞宗のお寺「慈眼院」。その境内にある宿坊「禅の湯」では、慈眼院現住職の娘である稲本雅子さん(41)が代表を務めており、宿坊を通じて人や地域を「育(いく)する」取り組みをしています。
「お寺は地域をつなぐ存在」と話す稲本さん。禅の湯の取り組みから、お寺が地域のためにできること、これからの地域とお寺のあり方を探ります。
檀家さんに頼らず、自立するために始めた宿泊業
慈眼院は、江戸時代初期に建立された由緒ある寺院です。もともとは天城山中の小さな庵から始まり、その後、河津に移築。下田と三島を結ぶ街道沿いに位置し、かつては天城越え前の休憩場として、多くの旅人が立ち寄りました。
お寺の担う「宿」としての機能に着目し、稲本さんの祖母が慈眼院の境内にユースホステルを起業したのが、禅の湯の原点です。
「祖母の父は河津町の村長を務め、事業をして町をよくしていくことを掲げていました。そんな曽祖父の元で育った祖母は、商売をして自立、自己実現するキャリアウーマンのような人だったそうです。
一方で祖父は住職と学校の校長を兼務していたこともあり、旅人たちに安全な場を提供することに加え、青少年少女の教育のための場を目的として、宿坊を運営していました」(稲本さん)
慈眼院現住職の娘であり、宿坊「禅の湯」の代表を務める稲本雅子さん
慈眼院の境内で宿坊が始まった背景について、稲本さんは「お寺が自立する必要性を感じていたことも大きい」と話します。
「南伊豆は昔から生計の中心は農業で、所得が多いとはいえません。お寺は一般的に檀家さんに支えられて成り立っていますが、『子どもにより良い教育を与えたい』『より良く生きたい』と思った時に、檀家さんたちに負担を求めることはできなかったのでしょう。
お寺は地域や檀家さんに支えられ、同時に地域を支える存在だからこそ、“家族としての生き方”を檀家さんに頼るのは違う、と考えていました」(稲本さん)
お寺と宿泊業の経営を切り離し、宿泊業で生計を立てながら、宿坊はお寺に家賃を支払い還元する形で運営されてきました。祖父母の時代を経て両親の代には、檀家さんに支えてもらうだけのお寺ではなく、自分たちで稼いでお寺として自立しながら地域を支える、という形態に変わっていきました。
「両親は、時には借金もしながらお墓や境内をきれいにするなど、自分たちが稼ぎ豊かになることでお寺を良くする生き方を見せてくれました。二足のわらじで身を粉にして働く姿を見てきたので、私にとって両親は宗教者というより、商売人というイメージなんです」(稲本さん)
自分の人生を生きるか、宿坊を継ぐか、悩んだ日々
稲本さんの両親に引き継がれたユースホステルは、境内で温泉を掘り当てたことを機に、2007年に天然温泉が楽しめる施設「禅の湯」としてリニューアルオープンしました。
現在稲本さんは「禅の湯」の代表を務めていますが、以前はまったく異業種の会社に務めていました。
「地元の信用金庫に勤めていましたが、母が過労で倒れてしまったんです。仕事は楽しくて辞めたくなかったのですが、自営業の家系では、『親の商売を手伝わない=親と縁を切る』くらいの重みがあるんです。
もともと『好きなように生きなさい』と言われて育ったこともあり、自分の人生を取るか、親を取るか…随分悩みました」(稲本さん)
稲本さんは家業を継ぐことを決意し、2010年に仕事を辞め本格的に事業に関わり始めました。事業をやる上で、禅の湯にしかないものを事業の核に据えようと、考えをめぐらせました。
「禅の湯は、祖父母が5人の子どもを育てるために始めた宿が起源。両親は私や兄弟を育てるために働いていましたし、私自身もこの事業で子どもを養う必要がありました。加えて祖父は教育者で、私も母も“人を育てる”教育者になりたかったという共有点もあった。
そこで、これまで家族を育てるための商売としてやってきたのだから、この場を自分たちも含めて何かを育てるために還元していこうと、『育(いく)する』というコンセプトが生まれたんです」(稲本さん)
「育する」はより良い成長を重視するコンセプト。たとえば、禅の湯ではキンメダイを仕入れる際、安価な外国産ではなく「伊豆の食を育する」という観点で、高価でも下田で水揚げされたものを選んでいます。禅の湯でのすべての仕事における判断基準や、スタッフが働くうえでの心のよりどころになっています。
「“そだてる”でも、“はぐくむ”でもなく、あえて“育する”にしたのは、スタッフ全員が同じ目線を持ちやすくするためです。前者はさまざまな場面で使われる単語だからこそ、抱くイメージに幅が生まれやすいです。
一方、“育する”はあまり馴染みがないからこそ、禅の湯の意図や思いを込めやすい。今では『これは育してるからやってみよう。これは育してないからやめておこう』というように、スタッフの会話の中でもよく耳にするようになりました」(稲本さん)
宿坊からスタッフの生きがいを「育する」
この「育する」が特に大きく表れているのが雇用です。禅の湯が重視しているのは、スタッフが禅の湯で働いて生計を立てながら、自分のやりたいことも同時に事業として育て、一人ひとりが生きたい在り方をつくっていくこと。なので夢や「育したいもの」を持っているか、が採用基準です。
「禅の湯はスタッフがやりたいことを育し、応援する場です。たとえば『陶芸家として生きたい』というスタッフには、事業を育てるために、禅の湯でお客様への陶芸体験や作品販売の場を設けたりします。
ただこれは、スタッフの人生を抱えていくということではなく、ここで一時的に生計を立ててもらいつつ、『自分の商売が育って大きくなったら卒業しなよ』というスタンスなんです」(稲本さん)
結果として禅の湯のスタッフの多くは、他地域からやってきた移住者です。「育したいもの」についてや移住の目的などを聞き、勤務時間も形態も、その人に合った働き方を作っています。
「移住者の多くは、朝はサーフィン、昼は畑仕事など、自分を豊かにする時間や生活を作りたくて伊豆に来ています。なのに週5で9時~17時など、都内と変わらない働き方にはめこんでしまうと、移住してきた意味がありません。なので、週1勤務の人もいれば、自身の本業のために長期休む人もいます。
『何をしたくて伊豆に来たの?』『どんな風に暮らしたいの?』と聞き、『どれほどの給料があれば生活できるか』というベースの金額も相談して、給料やシフトを決めています」(稲本さん)
自活し、人を受け入れて、地域を支えていく
スタッフの夢にとことん向き合い、彼らがやりたいことで生活できるようサポートする「育する」雇用。そこには、伊豆が抱える問題を解決し、地域を支えようとする思いがあります。
「南伊豆は若い働き手も、仕事や働き方の種類も少ない上、所得も低いです。閑散期など稼ぎにくい時期もあって、生活するのが決して楽とは言い切れない面もあります。移住しても『こんなはずじゃなかった』と去ってしまう人も少なからずいます。
でも、禅の湯という拠点で移住者を受け入れて、自活できる仕事の種を育てていくことで、移住してきた人がこの地に根づいてくれる可能性が高まります。住んでくれる若い人がひとりでも増えれば、地域は死にません」(稲本さん)
スタッフは最終的に引っ越してしまっても、伊豆への愛着はなくならず、家族を連れて時折遊びに来るなど、伊豆の関係人口になっている人もいるそうです。
「禅の湯を卒業したスタッフが近くにお店を立ち上げ、伊豆の新たな観光資源となって、お客様により喜んでもらえることもあります。地域清掃や行事に参加する若者が増えたと、地域の方や檀家さんに喜ばれることも。禅の湯の雇用は、人を育することで、地域を“育している”んです」(稲本さん)
禅の湯はお寺という面も活かし、移住者と地域との架け橋の役割を担っています。
「伊豆に限らず、移住者は地域の人から受け入れられにくいことがあります。一方で、お寺は非常に地域に根差した存在なので、移住者が禅の湯に勤めて『お寺に関わっている人だ』との認識を持ってもらえると、地元から受け入れてもらいやすくなるんです。実際に、檀家さんの持っている空き家を、禅の湯を介して移住者に提供してもらったこともあります。
私たちお寺がローカルな存在だからこそ両者のつなぎ役となり、移住者が伊豆の人として馴染みやすくなったり、生きやすくなるのではと思います」(稲本さん)
禅の湯が人々をつなぐ場となるよう、力を尽くす稲本さん。その根底にあるのは、「お寺は地域を支える存在」という思いです。
「お寺は、地元の人から移住者まで、さまざまな人が集まって、交流して、根差していくような、人々のハブになることで地域を守れる場所です。この伊豆という土地で私たちが今後もお寺として存続し、役割を果たしていくために、これからも宿をより良くして商売を頑張っていきたいです。人を、地域を、お寺を“育する"活動を続けていきたいですね」(稲本さん)
取材・文:五十嵐綾子
稲本雅子(いなもと・まさこ)
1979年、東京都生まれ。6歳の時に父が「慈眼院」を継承するため、家族で伊豆にUターン。教師を志すも、教育実習時に自分の人生キャリアに向き合い、両親の経営する宿のメインバンクである地元の金融機関へ就職、経営の本質を学ぶ。2005年、お寺と宿経営を完全分離するため「株式会社ハリスの湯」を設立。温泉を採掘し、父母の経営するユースホステルを宿坊「禅の湯」にリニューアル。金融機関を退社し家業を引き継ぐ。2017年「株式会社ZenVentures」と社名変更し、代表取締役となる。伊豆という観光地での宿坊という商売を軸にしながら、移住者と地域の架け橋になるお寺の可能性にチャレンジし、地域に還元される移住者の起業・事業をサポートする”育する"会社作りに取り組んでいる。現在は母親業を軸に子育ては東京、事業は伊豆という二拠点生活をしながら3人の子育てと経営の両立に挑戦している。