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「自分の感受性くらい」を読んで

有り難いことに、私には必要なときにピタリと
はまる出会いがあります。

お陰様で今日もそんな出会いに恵まれました。

人でなく詩です。

でも、想いが言葉になったのだから

人に会ったのと同じこと笑

ということで紹介します。



ぱさぱさに乾いてゆく心を

ひとのせいにはするな

みずから水やりを怠っておいて
 
 
気難しくなってきたのを

友人のせいにはするな

しなやかさを失ったのはどちらなのか
  
 
苛立つのを近親のせいにするな

なにもかも下手だったのはわたくし
 
 
初心消えかかるのを

暮らしのせいにはするな

そもそもが ひよわな志にすぎなかった
 
 
駄目なことの一切を
 
時代のせいにはするな

わずかに光る尊厳の放棄
 
 
自分の感受性くらい

自分で守れ

ばかものよ
茨木のりこ 詩集「自分の感受性くらい」所収

 


茨木のり子さんの「自分の感受性くらい」という詩です。

とあるコミュニティにて、信頼のおける方から
教えていただいたのですが、一読して
目の覚める思いでした。
 
ここ2週間くらい仕事やプライベートで
つまずくばかりで、気分が落ちてまして…、
 
包み隠さず申し上げれば、不貞腐れてました。

『自分にも非はある。でも全部が自分のせいじゃない。』

『人のせいにしてしまいたい。でも誰も悪くできない。誰も悪くない。』

潔く全面的に非を認められるほど強くはなく、

かといって、全てを誰かにせいにできるほど逃げきれず、

そんな中途半端な心が、自身を不甲斐なくさせてました。
 
 
でも、
 
 
そう情けなくさせたのは、誰でもなく自分。

起こる出来事をコントロールなんてできない。

コントロールできるのは自分の心。

起こる出来事をどのように捉えるのか、

その上でどんな行動をするのか…。
 
 
誰かのせいにするのは自分を守ることであり、
一番手っ取り早いので、

内面の応急処置としてはひとつかもしれません。

ところが、それで事態は変わらないと思ってます。

誰かのせいにするということは、変化を他人に委ねるということ。

そして良くも悪くも人は変えられないので。


となれば、変化は自分の手の内にあると考え
試行錯誤する方が、事態が好転するかもしれません。
 
 
『鍵は外にはない。自分の内にこそある。』
 
 
茨木のり子さんの詩から、このことに気付かされました。

ありがとうございました。


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