進化は楽しい
夜中に我が心の師匠Sさんと、お店の未来の話をして寝た。
Sさんは困っていらっしゃって、当然、様々なことを悲観的に見てらっしゃって、視野狭窄にならないよう申し上げた。まぁ、こんなことを言っても、受けれてくださるSさんに感謝。
一晩寝た。
朝、変なことを思いついた。
「進化は楽しい。」
競争は楽しい。これはゲームは楽しいし、資本主義での会社間の競争や、個人間の競争は、協調行動とともに、楽しむものとして、一般認識されている。
「競争は楽しい。」
または
「楽しむ」という感情は競争により生まれる。
「勝ち」はうれしく、「負ける」はつらく悲しく、人間は、そのサイクルをもって成長する。
これは狩猟系の動物であれば、当たり前なのかもしれない。
そして、草食系動物であっても、エサが限られていれば他人を押しのけてでも、「競うように」エサを求める。
ところで、進化もだ。進化も種族間の競争なのだ。その環境の中で生き残ることを良しとしている。
生き残ることを望まぬ種族はない。
「生き残る」は嬉しく「死に絶える」はつらく悲しい。
ということは、少し飛躍があるのかもしれないが、「進化」と「楽しい」という感情は、強く、深いところで、紐づいている。進化はゲームであり、抽象的思考を持った人間は、ゲームを楽しむことを、すなわり、進化の求める深い部分の感情からくる行動を、社会という様々な形に展開しているだけなのだ。
これ、わかりづらいなあ。あとで、文章見直そう。
兎にも角にも
「進化は楽しい。」
「楽しいと感じる根本は、進化と同根であり、競争であり、生き残りである。」
Sさんは、困ってらっしゃるので、資本主義のせいにしたりする。僕も資本主義が嫌いになったりしているので、同じような議論をしているのだが、資本主義はゲームであり、ここが重要だが、進化ゲームの投影なのだ。だから社会という大きな形になった時、法律により様々な規定はできるが、進化というディープにあるがゆえに見えづらい拡張、競争行動を、楽しすぎて、欲望を抑えきれずに、「規定」ができないのだ。
資本主義はルールされない。という本質が見えた。
そして楽しいお金にするにはどうすればいいかが見えてきた。
本来、ルールがあってこそ、ゲームは楽しいはずである。そして協調行動も、また、楽しいはずである。
うんうん。見えてきたぞ。
僕が考える、エナジービットコイン、エネルギー資本主義は、成長に対し、太陽エネルギーの余剰分、ストック分を充てる、地球規模・時間のに対するゼロサム政策ともいえる。成長に規定を与える。
一方で、自分の余剰を近くのチームと、うまく共有できれば、チーム、地域間の競争もあるわけだし、うん。うん。よいよい。
国家規模感の競争もあってよい。Districtがあってもいいし、多分、なくてもいい。
これは、多分、政治になってくる。エネルギー資本主義がエネルギー資本民主主義になってくる。
なんとなく、だれもが幸せになるお金の姿になってきた。
多分、お金のもう一つの疑問である時間方向の保存、ストックに対する欲望も解き明かせそうだ。多分、不安。
資本主義は楽しく、人は競争の中で生き、際限なき競争をやめられない。金持ちであるという、プライドの満足でさえ、進化という生物全体が持つ欲望の表れでしかない。それを理性というか、、、、人間らしさというか、、、、抽象能力をもって、コントロールできるようになってこそ、人は人らしく生きれる社会。ここには、人は次世代の人のようなイメージを含め、そんな感じだ。
一旦、筆をおこう。いやキーボードをたたくのをやめよう。