【孔】

私の胸に蛆が溜まり大きな孔が空いていた。「もう、そんな頃か」と思った。

私は多量の薬をめいいっぱい腹に落とし込み、それで眠るように意識を失ったのだ。あれから何度の夢を見ただろうか。真夏の蒸し暑いこの居間で。

庭に生えた枇杷の木が、あんなに力強い日差しの中で立っている。私は、もう自分の力で腰を起こす事は無い。ただ薬にその身を侵され、何度も何度も無限の悪夢にうなされていた。

八百屋に売られた売春婦や、町を埋め尽くす光化学スモッグ。犬の死骸を引きずる女学生、のっぺらぼうのサラリーマン。夕暮れを告げる爆音のサイレンが街に響き、そこで私は目を覚ます。

私は、ただの一歩も動けないこの体の眼で、縁側から広がる夏の照りつける空を見ている。
私が横になってから、季節はずっと夏のままだ。風が吹くことも雨が降ることも雪が落ちる事もない。時間があれから止まってしまったのだろうか。

部屋中に集るハエや蛆と、朽ちゆく体の肉の鼻をつく臭い。庭の木でこだまする蝉の声、辺りを行く人のざわめき。

今日は縁日だ。外が騒がしい。玄関先で子供の声がする。

「臭い」「くさい」「クサイ」

昭和11年8月3日、私は無限の夏に閉じ込められ、ずっとずっと独りぼっちになってしまった。

この胸のさみしい孔が閉じる事は、ないのだろうか。

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