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骨太の一手:全ての線分図を正しい比で描く

こんにちは。てらこや余間の代表です。
今日は線分図についてのお話です。早くも暑い日が続いていますが、ある男の子(Oくん)がひと夏を通して、線分図と格闘した姿を思い出しながら書こうと思います。

算数や数学を指導した経験のあるかたでしたら、当然のように線分図を板書して指導したことがあるでしょう。初歩的な算数の世界の数量の関係を一望する上で、線分図は板書の労力のたやすさからも、非常に強力なツールです。線分図を使うことを禁じられたら、一体どうやって教えたらいいか迷うような単元も多数ありますよね。

一方で、生徒の表情に目を凝らしていると、そんな強力明解な線分図を使って説明をしても、きょとんとした顔をしている子供がちらほらおります。六年生の夏くらいでも、毎年は一定数必ず。これは何故なんでしょうか?
魚の小骨のように違和感を残しつつも、長らくその疑問が解けないでいましたが、低学年を指導するようになって、その「きょとん」と言う表情の意味が理解できました。

線分図の原則となるのは、(幾何学で定義するところと同様に)線分図の線は点の集まりであるということです。
蟻んこでも、おはじきでも、算盤の珠でも良いのですが、10を意味する線というのは、ツブツブが十個一列に並んでいる様子なのだということ、これが100こ並んでいるのが、売買損益の100%を表す線なのだということです。

これは、大人にとっては当然のことですよね。でも、その線分図に対しての解像度のようなもの、あるいは理解度は大人でも差があるのではないでしょうか?
線の正体が点の並んだものだということは、点ごとに切断して分離できるものであるということで、さらにその点だって分離すればまた新しい点が分離して現れるということです。(蟻で想像するとギョッとしてしまいますが)

どうしてそのことを理解できない生徒が多いのかというと、一つは線分図が板書・印刷される際に、全体の量を同じ長さで表すからおこる混乱なのだと思います。考えてみれば、全体が100cmであっても、5kmであっても、同じ線分の長さでもって表記されることは「非論理的」なのです。もちろん、この表記は「全体の長さをこの線分で表すよ」という了解に基づいているのですが、そのことを自明として授業をされるのでは混乱する生徒が一握りいてもおかしくはありません。あと、売買損益の問題では、例えば100円の商品に3%の税金がかかることを実際の比で板書をすると、3%の部分が短くて不明瞭になるため、強調して長めに書く先生も多いでしょう。(私も状況によってもちろんそう説明します)すると、実は当初の前提である、「全体をこの線分の長さで表す」という前提が崩れ去り、やはり実際のところは筋道が通っていない説明になるのです。

数への理解は、地道に小さい頃から具体物を数える中で、数を抽象化する経験により作られるものです。都度、様々な観点からこんがらがった糸をほぐすようにして教え続けることが大切ですし、どこかで数がただの呪文のようなもの、あるいは記号のようなものだと決めつけて凝り固まってしまうことは注意したいものです。

さて、今日はOくんという小学校6年生の男の子についての話です。

非常にひと懐っこく心優しい少年で、おおらかなお母様のもとに家族仲の良い環境で育てられ、父親の日曜大工の手伝いに限らず、母親の炊事洗濯なんかもやってくれるような男の子でした。

コミュニケーションをするのが得意な彼は、社会や国語については概ね平均的な理解を持っていましたが、算数に対しては苦手意識が強く、実際に標準的な学力テストで偏差値30代になっていることも多々あるような学力でした。

そんな彼が一癖も二癖もある思考力問題を出す難関校にチャレンジしたいと言い出したものですから、Oくんと面談し、この受験に待ち受ける困難について忌憚なく、説明し、それでも受験がしたいかを問いました。すると、真剣な表情で何度も頷いて「それでもやりたい」と落ち着いた声で言ったので、私も応援するねと伝えたのでした。

それから毎日自習室に来るようになり、勉強時間は明かに増えていたものの、やはり6年生の夏前になっても一向に算数の点数が上がってこないでいました。彼がいるのは集団授業で、基礎的な算数の理解は済んでいる子が大半というクラスでしたから、おそらくはずっと以前に躓いているであろう彼の算数理解に対して、個別の授業で細かく「オペ」のような指導をすることになりました。

個別授業を始めた初日に、彼の数への理解がいかに偏ったものであるかが判明しました。
比の文章問題をやったとき、線を描かせて3:7に分けるよう指示したところ、全くチグハグの4:3くらいなところに点を何となく打って、困ったような顔をしているのです。
実際の長さや量と数が対応していないのだ…と気づいたので、問題を変えて、単なる比を羅列したものを、次々に線分図にしてもらいました。予想は的中し、彼はその都度、何となくの長さの線を書き、そこにも何となくのメモリを打って、線分図を描いたのです。きっと本人も気まずさを感じたと思いますが、私もどう受験まで直したものかと思案しました。小学校6年生の夏のことですから。

考えた挙句、先に述べたような線分図の概念を教えることから始め、「なかなか大変なことを指示するけど、これから、どんな簡単に思える割合の計算の問題でも、線分図を正しい比率で書くことができる?」と聞いてみました。普通ならそこで投げ出してしまいがちですが、彼の真剣な表情は変わらず、そこから一夏、時には定規などを使いつつ、正確な比を表す線分図をひたむきにノートに描き続けたのです。本当にえらいもんです。

結果、夏明けのテストになると、偏差値が50くらいまで上昇し、彼の理解に明かな変化が現れ始めました。結果的に受験ではあと二問ほど正解が足りずに不合格に終わりましたが、全く勝負にならない状況から追い上げて「勝負になる」ところまでもっていけたのは立派な取組だったと思います。

ちなみにその後の彼は、自身の成長した手応えを感じつつも、その成長が間に合わなかった悔しさからか、地元の公立中学に入ってからも勉強に励み、最終的には偏差値が70を取るまでに成長して高校に進みました。(もちろん偏差値は単純に比較はできませんが)

このOくんとの出会いは、私に実に多くのことを教え、学力というものがいかに偏ったパラメーターであるかを知らしめてくれるものでした。また、彼には登場してもらうことにして、今日はこの辺でおしまいとします。


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