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こどもと具体
研究者の方々なら、このテーマだけで分厚い一冊が書けるかもしれない——そう思えるくらい、小さな子どもの指導を通して強く感じることがあります。
子どもは一にも二にも具体的な存在であることを肝に銘じて指導なくてはいけない。
この子どもというのは、特に低学年以前を念頭にして書きます。四年生は塾が受験推奨年齢とする年次重なりますが、これは講義形式の理論を教える授業が、それ以前の学年には効果が薄いことを彼らは知っているからではないでしょうか。
まず、この「具体」が何を指すかというと、一つは「モノ」を通した理解、もう一つは「時間」を必要とした理解だと私は考えています。
時間が掛からない学習なんてないじゃないかと言われるかも知れませんが、そんなことはありません。例えば、円周率の求め方や、三平方の定理など、およそ自分で0から考えはじめては辿りつけない定理を、大抵の大人はきちんと説明されることで苦もなく使うことができるはずです。このように実践に必要な膨大な時間を短縮して、考え、調べ、理論化する時間をすっ飛ばして、「理解する」ことは、我々にとっては「普通」のことです。
ところが、子どもの多くはこれができません。演繹と帰納が対にはならず、帰納の階段を登ってはおり、立ち止まり、登ってはおり、ということを繰り返す。そうして、それぞれに十分に時間が流れたあとで、「わかった」という「理解」ということが訪れる。そのように感じます。最近では「内臓感覚」という言葉も使われるようてますが、「腑に落ちる」という言葉はまさにこのことでしょう。
とはいえ、この「わかった」という返事の受け止め方は非常に難しい。子どもが「わかった」と言うときの何割くらいが本当にわかったのか…教壇に立ってると、進行を考えるためにスキャニングするように「わかった?」と訊くことがあるのですが、毎回同じように頷くタイプの子は授業もコミュニケーションだと考えていて、リアクションが悪いと「教えてくれている人に悪い」から頷くこともあります。(女の子に多め)
エチケットのような頷きなら良いのですが、勉強する際にも「良い子であること」が優先されすぎてしまい、ほとんどの受け答えを頷きで流すクセがついている生徒はケアが必要です。性格や環境の兼ね合いで、既に「ううん」と否定の頷きをできなくなっているかもしれないからです。
わたしの経験上では、よくある算数のつまづき、数学のつまづき…は本人たちの先天的な能力よりも、首を横に触れない生徒たちが積み上がらせてきた結果起こる事態なのだと思います。ここでも、その子が「ううん」と首を横に触れる状況を作るのが大事なんですね。
具体例をあげましょう。多くの子にとって、五年生以降でやる「割合」の理解は難関ですが、上手く指導するには、「割合」は始めからすぐにわかろうとせずに時間をかけてやることがポイントだと思います。
比較的に算数を苦にしないタイプの、するする公文などで計算を進めてしまえるような子でも、割合の利益損益などの計算、歩合の計算などは苦手ということが多い。分数の掛け算割り算まで計算ができれば、単元としては読解にコツがいるだけなのですが、そうはならない。ある意味で小学生最大の難所です。
これなども分数の掛け算や割り算を習うときに、単に分母同士、分子同士をかけるだけだよ…とか、分母と分子をひっくり返してかけるだけだよ…とかなどと「算術」としての数学に傾いた指導を受けると起こりがちの事態です。理屈を脇に置いた効率の良い指導の弊害。そこで「なぜ?」と立ち止まって、解を得た生徒なら割合の計算も苦にならないはず。
少し長くなりそうなので、今日はここまで。またいつかこのテーマについては書いてみたいと思います。
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