なにかが おかしい ⑩
ロータリークラブから奨学金を受けて大学院留学中、都市・地域計画を専攻し、また11年前の6月に父が倒れるまで松阪の中心街近くに住んでいたので、昔は、頼まれて商店街の活性化のアイディアを出したり、自ら意見交換会に出席したりすることもあった。
そこで、
「このままだと子どもや孫に継がせられない」と言って、行政に補助を求めてる商店街の人に
ー 「子どもや孫に継がせたいから助けてくれ」ならわかるけれど、「継がせられないから」という人たちに、地域外の人が協力してくださると思いますか。
とか、
二言目には「駐車場がない」と、車でくる外の人のことばかり考えている人には、
ー 路上駐車で危なくて横断歩道を渡れない地元の人間の安全を無視して、外の人を呼ぶ方法ばかり考えてる商店街なんて、そこに住み、車もあって若い人間からすれば、つぶれてもらってかまいませんけど?
とか、言いたい放題言っていた。 笑
昨日、今日とSNSに「松阪マラソン」の話題が多く出ていて、そんなことを、ふと思い出した。
私のスタンスは、20代のときから変わらないなと思う一方で、関わろうとせずに、2年続けて松阪脱出の日にしている自分に年をとったなと思う。
この仕事を始めてからずっと、足元を見て、「発展」ではなく「継続」を考えることに集中してきた私は、日常の生活や営みを、停めてまでの地域活性化って、本当の活性化なのだろうか、と、ずっと疑問に感じている。
インバウンド、オーバーツーリズムの問題も同じで、人が集まれば良いという事ではないはずだ。
松阪マラソン
ボランティアで参加している中学生たちは、学校の強制参加だ。したくてしている、楽しんでいる生徒はたくさんいるだろうが、始まりは学校で「ボランティアとして参加」という名目の行事、今年は知らないが、少なくとも昨年は「振替休日」のある登校日だった。
四方八方、半日通行止めで身動きがとれない人は、松阪脱出。
年末の書き入れ時に、商売あがったりという声もある。
不平不満があるから、やめろとは言わない。
長く昔から続く伝統行事を続けるにしても、新しく何かをするにしても、必ず犠牲や不満を伴う。だからといって、不平不満は「仕方ない」わけでもないし、みんなが「楽しいと思い込んでいること」が善で、それに「苦言をいうこと」が悪、そんな風にも見える社会は気持ち悪い。
普段の生活や営みを犠牲にした地域の発展も継続もないはずだから。
いただいたサポートは、子どもたちの学ぶ環境づくりに使わせていただきます。よろしくお願いいたします<m(__)m>