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下剋上球児 

15年以上前、ある高校生にお弁当を作っていた。時間があれば、一緒に食事をするようにしていた。今では、30代になり立派な社会人である彼に、ごちそうしてもらうばかりになっている。

彼より少し下の世代で、私がお弁当を作り、彼と過ごす時間をできるだけとっている様子を見たことのある生徒が、大学生になり教育実習のために帰省したとき

「先生は私企業のトップだから、そういう特別扱いができるけれど、学校の先生には無理ですよね。しちゃダメですよね。」

と、言ってきたことある。

そのことを、この日曜日、「下剋上球児」を見ていて思い出した。

私は、子どもたちのためでも、猫のためでも、誰かがする必要があり、自分にできることがあったら社会の大人としてできることをする。それだけのことで、それを先生たちが「してはダメ」とか「無理」ではないはずだと思っている。昔は、学校の先生たちの多くが躊躇なくしていたことだと思う。

また、実際に「しない」、物理的に「できない」ということと、「してはいけないこと」、「無理なこと」は違うことだと思っている。

そのとき、そんな話を卒業生にはしたと思う。

「一人ひとりと向き合うこと」と、「特別扱いすること」や「ひいきすること」との線引きができなくなってしまっていることが、今、子どもたちの心の穴を大きくし、問題を複雑にしていると思えてならない。

「下剋上球児」の中で「自分のことしか考えん親ばっかやから、学校にも社会にもしわよせがくんのや」と言った弁護士の女性に、南雲先生が、「誰もが家庭に恵まれているわけでじゃありませんから、周りの大人みんなで面倒をみていけばいいんじゃないかと」と返していた。

ほんとに、それだけのことなのだ。そして、学校はそのためにあるのだと私は今でも信じているのだけれど、なんだか、やるせなくなることが多い昨今ー

大学の同窓生である鈴木亮平くん主演で、三重県が舞台というだけで見始めたのだけれど、「下剋上球児」というドラマ、しっかりと社会風刺もあってこれからが楽しみだ。最初は、なんで実話をもとにしているのに、そこにない設定でこんな心臓に悪い設定で始めんの?と思って見続けるか悩んだのだけれど、さすがだな、日曜劇場(笑)なんて先週から思い始めている。

前述の彼も、高校の担任の面倒見の良さに救われた青年だ。先生との出会いは、子どもにとって道しるべになることを忘れないでほしい。


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