5月が終わっての対談①(素材と五味五法について)
書き出すよりも話した方が伝えやすいかも、という生徒の声に応えてインタビュー形式で5月を振り返りました。録音する前から話し始めてしまったので、いきなり五味五法について怒涛のごとく喋っています。
受入コーディネーター・恒光が、長谷川さん・武田さんの対話を聞くという形式をとる予定でしたが、長谷川さんが随分と話し込んでいます。
(探求心が旺盛な長谷川さん)
長谷川:
私の中で五味五法というか、素材から五法に繋がったなと思ったのは、私たちが賄いでやった蕪のすり流し。今日のお弁当アンケートに、今はどんどん筋の入った蕪が多くなってきていて、筋が入ってしまった蕪をどう調理していいかわかりませんっていうのが書いてあったんだけど。
以前に賄いを作るときの、大量に大きな蕪があって、あれをどうにかしないといけないってことを思い出して、中身もぐちゃぐちゃだし、形も綺麗に象れないって時に、なす術はひとつみたいな。そこで、「すり流し」になって。
あれは、蕪のすり流しが作りたいと思って作った訳じゃなくて、蕪がああいう状態で、できる選択肢が限られているってところから、自ずとすり流しって選択肢が出てきている。あれが、すごいわかりやすい例だったなと、私は思っていて。
そういうことをやろうと思っているのが、島食の寺子屋なのかなって。もともと、そういうことができる料理人がいないのに危機感を感じたというのが、ここを設立した斎藤章雄さんが仰っていたことなのかなって、私は思う。
あと、これも蕪なんですけど、たまたまムラーさんのところで仕入れた蕪を、焚き合わせで出したんですけど。蕪の仕込みをしている時に、先生が「食べてみ」って生で食べさせてくれたんですけど。本当に「サラダにしてもいいじゃん」って位に、甘いし柔らかいし。でも、先生はあの蕪を焚き合わせに使ったというのが、ちょっとモヤっとして。
生でも美味しい位の蕪を、せっかく手に入れられたのに、なんで焚いちゃうんだろうってところ。あとは、一旦下ゆでした大根を、先生が水の中に保存しろって指示したことに出野さんが疑問を感じたみたいで、「それだと素材の味が抜けちゃうんじゃないですか?」って質問してて。
私もそこに引っかかって。確かに素材の味を感じられる位、素晴らしい蕪だったから、その気持ちはわかるなと思ったけど、先生のなかで「焚き合わせにする」っていうゴールが決まっていて、その時に大事にすることは確かに素材の味も大事なんだけど、焚き合わせって出汁を入れ込むことが大事だし、出汁と素材の味がお互い邪魔せずに両立している状態が、焚き合わせにとって一番大事なことって考えたら、ある程度は素材の味が抜けてしまうけれども、出汁を入れるっていう目的の為には、水につけておくことって必要な過程だったから、そうしてたって。
そこだけ切り取ったら、「蕪を水につけちゃうの?」って思うけど、焚き合わせにするっていう調理法があるんだったら、水につけるってことは必要だったなって、自分の中でストンと腑に落ちたというか。そういうことも印象的でした。
武田:
それは、すごくわかりやすい例だと思う。まずは、素材があって、五味五法を考えていく、すごくわかりやすい例のひとつ。というか、なんなら一番分かりやすいかも。
長谷川:
そうだよね。なんなら、食べたしね。
あと、丹後さんの家で、コーヒーを飲んだ時に、今は良い豆を作る生産者さんが増えちゃったことで、良い焙煎氏が減ったっていう話が出た時に。あれも、五味五法に似ていて。
もともと、いい素材を作ることで、別にどんな料理でも調理法でも良くなっちゃうというか。昔は良質なものも、それほどでもないものも、美味しくするっていう焙煎氏が必要だったから焙煎氏がいたけど、そうじゃなくなってきているというのは、料理人にも言えるし。
これしかないとか、何かが不足しているとか、状態がよくないってものを、いかにこれで美味しいって言える状態に到達させるかってことが、料理人の本質だと思うし。有り余る食材で、良いもので更に良いものを作るっていうのは、私の中で目指す料理人像ではないなと思ったから。
恒光:
数年前に、日本料理フォーラムというイベントで、京都の老舗料理店「平八茶屋」のご主人とお話する機会があって、その方の奥さんが隠岐の島町出身の方というのをお聞きして。
その時に、島食の寺子屋のことを紹介してみたら、「隠岐だったら、食材が良いから何もしない方がいいんじゃないですか?」って冗談交じりに話してくださって。
「何もしない」という言葉が、本当に何もしないことなのか。それとも、邪魔をしないという意味での「何もしない」だったのか、長谷川さんの話を聞いててどっちだったんだろうって思い始めた。
長谷川:
確かに、「邪魔をしない」という行為だなって気がしました。
武田:
え、どういうこと?
長谷川:
さっきの話でいうと、例えばすごく甘くて柔らかい蕪があった時に、それに手を加えることすら違うというのか。じゃあ、違うってなった時に、「何も手を加えないで、生で齧って下さい」って言うんじゃなくて、「何もしなくていい」ってことを食べた人に伝わるようなやり方というか。
素材の良さをただそのままぶつけるんじゃなくて、素材を良いって思ってもらえるように仕上げるというか。邪魔をしないということをするというか。
武田:
あ、ようやくわかってきた(笑)
<<対談は続く>>
5月が終わっての対談②(美味しいものを食べさせてあげたいんです)