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光陰矢の如し

11月になり朝晩がかなり冷え込む。私の体感として、夏が終わってから急に秋が来てそのまま冬に滑り込むような勢いで季節が変わった感じ。時化が続いて漁がない日も続いたり、たまに台風のような風が吹き荒れたり、これぞ冬の日本海の島にいるのだな、と改めて認識する日々である。

ある暴風の日の明屋海岸

もちろん季節の変わるスピードもだが、それ以上に毎日が充実しすぎなのである。稲刈り、さつまいも掘り、みかんの収穫のお手伝い、山に行っては栗やあけび、むかごといった秋の味覚を拾い、この時期ならではの柚子胡椒やお月見団子づくり。さらに、イベントへの出店もあり、なおかつ離島キッチンでの営業も年内でピークを迎え、連日営業のため仕込みや準備に追われた日が続くこともあった。
 
そんな日々の合間をぬって、ある日、寺子屋ファームに秋冬野菜の種播きを行った。実際のところ、夏野菜のときよりもかなり出来が良く実際に間引き菜などを使って、まかないやお弁当にも収穫して使うことができている。こんなとき、私は「幸せだなあ」と思う。それは、その野菜がどのように育ったかを知りながら料理をしていることに感じているのかもしれない。

ある日のまかない。見にくいけれどみそ汁に水菜と手作りお揚げを入れた。

同時に、それは土を触っているときも同じような幸福感を感じる。どんな環境づくりをしたら野菜が心地よく育つのか、今の野菜の状態はどのような料理に向いているのだろう、なんて思いながら畑にいるとワクワクしてくる。
それはムラーズファームにいったときも感じるし、崎漁港で魚を仕入れる時も同じような感覚になる。やっぱり、食材の生産現場は臨場感があって本当におもしろい。

ある日の魚仕入れ。冬が近づいてきて脂がのってきている気がする。

先日、猟の解禁日を迎えそれに伴い、寺子屋でも鳥の解体を行った。海士町にきてからはめったに鳥の肉は食べていないけれど、いままでずっと食べていたからこそ、いつかは捌いてみたいと思っていた。
実際に、羽を抜くところから始まるのだが、これが私はなかなか手を付けられない…。頭では理解しているのに進まない。魚の鱗は普通に掻いてしまうのに、鳥になると羽を抜くことができないのだ。少し涙を浮かべながらもなんとか無事に終えたが、こんなふうになるとは自分でも不思議であった。
次は包丁で部位ごとに分ける。切り進めていくごとに今度はどんどん食材に見えてくるのが不思議。もも肉や胸肉、手羽先、等聞き覚えのある部位に分けられると、やっぱり食材だ。魚や野菜と同様、できる限りきれいに捌きたいしあらゆるところを捨てることなく使いたいと改めて心から思った。
魚、肉、野菜、それぞれの命をいただいて料理を作る。生産者の顔を思い浮かべながら料理を作る。やっぱり、食材の原点に近いところで料理をすることができるこの環境は食材が新鮮なだけでなくいろんなことを感じさせ学ばせてもらえて本当に贅沢である。
 
もはや今は寺子屋生活終了へのカウントダウンがうっすら見えてきて、なにかに焦る自分がいる。ここにきて何を身につけられたのか。これからどんなことをやっていこう。考えても仕方のないことが頭の中をぐるぐるめぐっているけれど、今できることは目の前のことをコツコツとこなすこと。ワクワクすることを大切にすること。寺子屋にいるうちにまずはもう一回基礎から見直すこととできる限り生産現場に触れられるようにしていきたい。

(文:島食の寺子屋生徒 野本)