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命のタイミング

人生で初めて、鳥を捌くところを見た。

命の授業といえば、ブタがいた教室という映画があって、すごい世の中では反響があったと思う。反響があったから観るべき気がして観たけど、どこか他人事のような態度で観ていた気がする。血が出るシーンも、あったどうか記憶が定かではない。

そんな自分が、命の授業を受ける日がようやく来た。
烏骨鶏の育て方を相談していた島内の知り合いから、「今日、捌くから興味あったら来て」とメッセージがあった。メッセージに気付いてから鳥が捌かれるまで3時間ほど。

行くと返事をしたはいいものの、少し不安もあった。鶏肉を食べられなくなったらどうしようとか。心配なことといえば、そんなことだけど、食べられなくなるのは困る。迷う時間がないのが幸いして、とにかく現場に行くことになった。

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そこには、既に20人くらいの人だかりができていて、小さな子供も沢山いた。イベント会場の中をさまよっているような感覚で待っているうちに、網に捕らわれた鶏が岩場のようなところに連れてこられた。5人がかりくらいで押さえつけ、1人が斧を振りかざして待つ。

近所に住む男の子が、近づいてきてすっと寄り添ってくる。なにか不安に思う気持ちは、その子と一緒だったのか、「大丈夫、大丈夫」と言い聞かせながら、その子の肩に手を置いて、肩の温もりだけを頼りにその瞬間を待っていた。

ようやく、斧が振り下ろされ、首がトンと落ちる。
たった、それだけ。それだけで終わり。

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そこからは、熱湯に入れられ、羽がむしられ、普段から商店などで買う鶏肉になるまで、あっという間だった。部位ごとに解体されていく様子を見ても、「魚を捌くのと一緒だな」と思いながら眺めていた。その場で、丸焼きの一部を食べたら、「飯を食べてるな」とだけ思う。

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もっともっと、血生臭いものを想像していたゆえに、拍子抜けしたというか。逆にいうと、普段から血生臭いものが当たり前のように買い物コーナーに沢山並んでいて、既に慣れていたことにも気付かされた。そして、捌く講座にたくさんの人が群がっているのは、肉を求めている人間たちのとても自然な風景にも見える。

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今回のことで、なにか特別に考えが変わったわけもなく、むしろ家畜を殺して食べているのは、毎日トイレをするのと同じくらい自然なことに思えた。かといって、好き好んで鳥を捌こうとは思わない。

個人的にウズラを飼っているけど、天命をまっとうする前に命を断つことは、不必要にも感じる。暖かい時期は、毎日のように卵を産んでくれるし、少量の肉の為に卵の親を殺してしまうのはもったいない。小米と水を与えれば、毎日のように栄養をもたらしてくれる有難い生き物。

次にチャレンジをするとすれば、天命を全うした鳥を食べることかな。
美味しい鳥肉もいいけど、鳥の温かさも愛おしい。

(文:島食の寺子屋 受入コーディネーター / 恒光)