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第13話 スタッフ、生徒さん、お客さん、家族の気力


順調ではない

オープンして3ヶ月経ち、まずはこの3つの問題が出ました。
① 売り上げが予想より低く、ランチとディナーの需要も見誤り、サービス内容変更しないといけない。
② オープンして1ヶ月で店長が辞めて、スタッフを募集し再編成中。
③ マニュアルは、誰のために、なんのためにつくるのか。

①と②は、答えは比較的簡単で、需要のある時間帯とサービスに力を注ぎ、それに応じて必要なスタッフと周りの環境を整えていく。そうするしかないです。
③は、自分が現場にいると目先の作業に囚われて時々見失いがちです。スタッフのためのマニュアルには違いないが、現場だけではなく、スタッフの普段の生活に役立ち、地域にも役立つものにつながる事が望ましいです。となると、なんでも数値化して、見える化して、作業しやすくする事が得策ではなく、ぼんやりと辻づまを合わせること、なんとなく帳尻を合わせることの繰り返しが、長い目で見て良いマニュアルとなるのではないかと思います。もはやマニュアルとは言えないかもしれませんが、秩序というか、教えというか、そんな曖昧な力合わせが重要になり、それを見越した上での現場マニュアルつくりが必要になるのではないかと思っています。


労働とは? マニュアルとは?

労働をしている時間が1日の何%を占めるかは人それぞれですし、労働してない人もいるでしょう。そもそも労働ってなんでしょう?

労働とは、自然の恵を人間によって制御・コントロールすることです。

内田樹 著「困難な成熟」 夜間飛行 出版
参考文献

労働が自然の恵を人間によって制御・コントロールすることだとすれば、生産そのものではなく生産を管理をすることですから、極端にいうと、何も生産せず作らずに、ただ会議だけしてる人、お金だけ出して見張っている人は、特に「労働をしている」ということになるでしょう。だから、あんまり「労働」しない方がいいですね。自然の恵みを人間の都合で制御・コントロールすればバチが当たる。病んじゃうから。笑。
営みと言える範囲で仕事するのが良いのかもしれません。必要な時に必要なだけ有難く消費するそのために最低限の仕事をする、そして、余力では、自分のためだけでなく、他人のためにも役立つように動く、もっともっと…と欲を欠かない、そうしてれば、いつも満たされていて豊かな人生を送れるのだと思います。

ちょっと労働の話が長くなりましたが、要は「労働」のためではなく、「営み」に繋がるようなマニュアルつくりを私は目指したいです。


自分は他者から作られる

今、自分が死ぬまでに何をしたら良いのだろうか。何かしらの理由で困っている人の役に立つ事をするには違いないでしょうが、「何かしらの理由」という漠然とした内容の中で自分ができることはあまりにも少なく、私は、食・音楽・茶道でやるしかない。
新しいスタッフの困っている表情が晴れる瞬間、お茶やピアノで生徒さんが腑に落ちた時の瞬間、私は生きている気がします。また一方で、私が出来ないことや苦手な事を、スタッフや生徒さんが簡単に得意にやってのけると、感心して多くの影響を受けます。自分は他者から成り立っているのだとつくづく感じます。寺子茶屋も同じく他者から作られます。

先日、私の父が他界し、父の存在について思い詰める毎日です。父は何処へ行ったのか。私は何処へ行くのか、人は何処へ…。私は幸せなことにスタッフ、生徒さん、お客さん、家族に恵まれています。皆様の気力で生かされいることを実感する毎日です。私はもう1人では動けません。自分は居るとしたら他人の中に居て、この世には居ないのではないかと思い始めている今日この頃です。