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少数派にひそむ豊かさ

こんにちは、本多です。お寺の住職、大学での教鞭、それからテラエナジーの創業メンバーとして取締役をつとめています。僕は小学校のとき、海外に住んでました。noteでは、日常で感じたことや考えたことをできるだけ素直に言葉化したいと思います。ゆっくりしたときに読んでもらえたらうれしいです。

多数か少数か

少数派の意見に賛同するのはけっこう重圧です。まわりから「変わっている」と思われることもあれば、時に何かしらの制裁を受けることさえある。となれば、少数派には近づかない方がいい。多数派には利点がありそうです。

テラエナジーは電力事業社でいえば規模は小さい。いうなら少数派です。ただ、少数の側に身を置いてみると予期せぬ気づきがあります。

少数部隊なので、周囲の状況がけっこうよく見えます。

大きな企業だったら顧客や社員の心理を知るために、専門機関による調査の動向指数に依存したりする。アルゴリズムを掌握するビジネスが勝利する、と近年いわれたりします。ところが小さな組織だとそれをしなくても顧客や社員が近い関係なので、温度感がけっこうわかる。

去年の冬、電気代が高騰した時には「大丈夫?」「協力したいけど、何すればいい?」といった連絡を顧客からいただきました。予期せぬ知らせでした。自分たちがやっている活動をちゃんと見てくれているんだなと実感できました。もちろん厳しい意見もいただきましたが、規模が小さいからこそ近い距離感を実感できます。

反対に、他者の心情がわからなくなるとき、会社や集団はピンチを迎えます。

基準が「人」から「ルール」へ

集団は大きくなると、上からの管理を必要とします。

家庭でちょっとしたいざこざがあった。そして警察が出動した。トラブルの解決方法を直接話し合えばいいところを、警察や法律に頼るのは、その人の集団認識の規模に比例します。

集団は大きくなるにつれ、ルールをこと細かに決めて人を従わせる必要性に追われる。ルールが厳しくまた多くなると、その集団の基準は人からルールへと移行するのです。

お寺に来る子供と話してみた

僕のお寺にはバスケットボールコートがあります。毎日代わる代わる小学生がやってきて遊んでいきます。多ければ20人くらい来ます。そうすると、植木を破損したり、境内の砂利を散らかしたり、お菓子の空袋を境内に捨てていったりします。あまりにヒドいので、最初は張り紙をしてこと細かに注意を呼び掛けていました。

ところが、子供が目の前にいるのに直接話すことなく、張り紙で指示していることに違和感を持ち、最近は直接小学生と話すようにしています。

すると子供たちの日常がわかってくる。何年生で、日ごろ何をしているのか。小学生にもグループがあって、それぞれテリトリーがある。彼女ら/彼らは放課後、学校と公園とお寺をグルグルまわりながら遊び場を探している。さらにはこちらの考えも伝えるようにしました。その結果、じょじょにコミュニケーションが取れるようになり、今は張り紙はありません。

ぜんぶ理想通りには行きませんが、ひとまずはいい距離感が保てているのではないかと思っています。

人里離れた集落などに行くと、玄関のドアが開けっ放しだったりします。小規模集団では管理よりも信頼ベースで関係性が成り立つので、空けていても盗まれる心配は低い。

ところが人が多くなると、玄関扉の二重、三重ロックは当たり前になる。一昔前、警察官は「おまわりさん」でしたが、今は「けいさつ」です。「地域に必要な人」から「法の監視者」へと、集団意識が変えていったのです。

大勢になると失われるもの

複数の人間が集まると、個人では思いもしない心理状態がおとずれることを証明した社会実験があります。

調査をさせてほしいと調査員に依頼された被験者が個室に入る。調査員はその後「すぐ戻るから」と言って部屋を出る。被験者が調査員を待っていると、突然、隣から調査員の悲鳴が聞こえ、階段から転げ落ちる音が響く。

その時、被験者は助けに行くかどうかという実験です。

実験ですから、被験者は実験であることを知りません。また、悲鳴や階段から落ちる音は録音した音声です。

このとき、被験者が1人であった場合と、見知らぬ被験者2人で参加する場合とでは結果が大きく異なります。1人の場合、70%が救助のため席を立つが、2人だと40%にとどまり、6割は席を立つことさえない。

Latane&Rodin, 1969

この実験結果は「傍観者効果」と言って、自分以外に傍観者がいる時に率先して行動を起こさなくなる心理です。実は、傍観者が多いほどその心理は強化されます。つまり、困っている人がいても、大勢だと実際にはほとんどの人が何もしない。

一人ひとりは「良い人」の集まりであっても、人数が多くなると傍観者心理がはたらいてしまう。それが人間心理の実相かもしれません。

少数派にひそむ豊かさ

傍観者意識は私たちの日常にありふれています。困ってる人を見ても「誰かが助けるだろう」とついつい見ないふりをしてしまう。僕自身、思い当たる節がいくつもあります。ただし、ここで言いたいのは傍観者意識を正そうということではありません。

そうではなく、傍観者効果があることを知っておくことで、自分のやるべきこと、やりたいことがもっと明確になるのではないかということです。居合わせる人が多くなるほど助けなくなるという結果は、反対に、少数や単独であることによって維持される豊かさを明らかにしているのではないでしょうか。

多数派からすると少数派は不穏な分子でしょう。一方で、少数や単独であることを味わうことも、その人らしさの輝く、豊かな場ではないかとつくづく感じます。

本多 真成(ほんだ しんじょう)
1979年生まれ。大阪八尾市の恵光寺住職(浄土真宗本願寺派)。龍谷大学大学院を修了し、私立大学の客員教授をつとめる。院生時代は「環境問題と仏教」の思想史研究。専門は宗教学。TERAEnergy取締役。

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