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「白と黒」だけの生きにくい世界にならないために

こんにちは、本多です。お寺の住職、大学での教鞭、それからテラエナジーの創業メンバーとして取締役をつとめています。私は小学校のとき、アメリカに住んでました。帰国子女、つまりリターニー。海外に行くことも多いのですが、日本から脱出できてノビノビできる喜びと、一方で自分の故郷はどこかなのか…嬉しさと喪失感に板ばさみになります。これまでの人生、自分なりに楽しくも、葛藤をかかえながら歩んできました。このnoteでは、そんな葛藤をできるだけ素直に言葉化しながら、自分自身が大切にしたいこと、それから経験から得られた気付きを書こうと思います。ゆっくりしたときに読んでもらえたらうれしいです

淹れてもらったお茶が飲めなかった

お世話になっていたご門徒(檀家さん)のおじいちゃんがコロナで亡くなられた。夫婦で生活をされていて、奥さまがコロナに感染し旦那さん(おじいちゃん)も体調が悪かったが、病院嫌いだったこともあって1週間一人でがんばったものの、PCR検査を受ける前日に亡くなられた。奥さまが朝起きて、旦那さんを見たら動いてないことに気付いたという。

お子さまも濃厚接触者にあたることから、葬儀は執り行えず、ご遺体は直接火葬された。火葬場での読経を僕は希望したが、防護服の着用などいろいろと手続きがあるので難しいと葬儀会社に言われた。お骨は、ご家族の具合がよくなられるまでお寺で預かることになった。

亡くなられたとの知らせがあってから、自分の行動がガラッと変わった。

僕の住む地域では月参りといって、月一回檀家さんのお宅へお参りをする習慣が残っている。お宅にあるお仏壇の前でお経をあげる。月参りの目的はお経をあげることだけではない。お経をあげたあとのお喋りは檀家さんにとっても僧侶にとっても楽しみでもある。お茶を振る舞っていただき、近況のこと、体調のこと、社会のこと、自分が人生で経験したことをざっくばらんにお話しする。読経中に着用していたマスクも、この時だけは外してお茶をいただく。

ところがこの日をさかいにお茶をいただくことに抵抗感を持つようになった。「もしかしたら、自分がコロナに感染していて相手にうつすかもしれない」「もしかしたら、相手の方が感染しているかもしれない」。そんな心理状態が過度をきたし、僕はあるお家でお茶が出されたときに「こんな時世なので、お茶は結構です」と言ってしまった。

相手は95歳くらいのおばあちゃんだった。足腰は弱ってはいるが、快活で、いつも僕や家族のことを気にかけてくださるやさしいおばあちゃんである。

そのおばあちゃんが、お茶はいらないと僕が言ったら、とても淋しそうな顔をされた。そして「今は大変な時期やもんな。しばらく月参りお休みさせてもらいましょうか」と言われた。結局僕は言い訳がましく、お茶をいただかないのは「今月だけ」と伝えてそのお宅を後にした。

あなたのものでも、私のものでもない

お寺では来客があれば必ずお茶を出すようにしている。コロナ禍でも変わりはない。大事なのはお茶の味や種類ではない。お茶を出して、それをお互いが手に取ることが極めて重要なのである。

その理由は、お茶は相手と私を繋ぎとどめる公共の役割を担っているからだ。色に喩えれば、相手が白、私が黒だとすれば、ふるまわれたお茶はグレーの領域のものなのである。お互いがグレーの領域に踏み込むことによって、私的領域から離れ、一時的ではあるがグレーの領域に身を置く。

そんな公共のゾーンは、私たちの身のまわりでいえば公園、遊歩道、図書館、またお寺の境内もそれにあたる。グレーのゾーンは、私のものでもなければ、あなたのものでもない。誰かの所有物ではないから、お互い節度をもって行動することが求められる。

ところが、残念ながらこうした空間は年々減ってきている。財政難から公園は売却され、新しいマンションやスーパーが建ったりしている。図書館の利用者は減少しており、本はみんなのものから個の所有へと移行している。山門を閉めっぱなしのお寺も多くなった。もちろん、悪いことばかりではない。しかし、誰の所有でもない場が一切なくなると、社会全体をとりまく安心感が低下するように思う。

淹れてもらったお茶を拒否した自分も、その瞬間に自分の殻に閉じこもったのと同時に、おばあちゃんを彼女の殻に閉じ込めてしまった気がする。

テラエナジーの「ほっと資産」

テラエナジーに支払われた電気代のおよそ2.5%は、35の団体に自動的に寄付する仕組みになっている。僕たちはそれを「ほっと資産」と呼んでいる。「ほっと資産」に加盟する団体の多くは、それぞれ社会に対する課題意識とその解決を目指している。課題意識の根っこには、白と黒に分断しつつある社会のバランスの悪さに対する危機感/違和感があるように思う。

二項対立の発想に基づけは、すべての利益は、顧客と会社に還元すべきである。「ウィンウィンだから、それでいいやん」というわけだ。しかし、それを追求しつくした先にある社会とはどんな社会だろう。白と黒にくっきり染まった世界は、自と他が互いに「自分のもの」とせめぎ合うことから、生きにくい社会ではないだろうか。そんな社会では、ひとたび自分の家から外に出れば、そこは誰かの領域であり、たえず「相手か自分」の駆け引きをする緊張感に強いられるだろう。それに、そもそもを考えてみたら、土地も空気も水も電気も、もともとは自分のものでも相手のものでもあるはずがない。

白と黒だけの生きにくい世界にならないためにも、グレーの領域を広げる活動は不可欠であると僕は考える。また、ぜひ多くの団体に寄付申請していただき、電力をとおした公共圏ができればと思っている。

コロナをきっかけに、触れる物や人との距離に敏感になった人が殆どだと思う。「正しい行動をしている」という自己意識の背景にある、社会構造のあり方についてもしっかり考えてみたいと思う。

本多 真成(ほんだ しんじょう)
1979年生まれ。大阪八尾市の恵光寺住職(浄土真宗本願寺派)。龍谷大学大学院を修了し、私立大学の客員教授をつとめる。院生時代は「環境問題と仏教」の思想史研究。専門は宗教学。TERAEnergy取締役。

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