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映画「鬼滅の刃」を見て覚えたモヤモヤした違和感。

ネタバレがあります。

鬼滅の刃の映画を見た後、モヤモヤが残ったから書いておこう。
一言で感想を率直に述べると、まるで戦時中のプロパガンダみたい、という穿った印象が残った。出撃前の少年兵に見せれば洗脳できそうな情緒に訴えかける台詞と内容で、僕は少しも泣けなかった。 
特に気になったのは、煉獄杏寿郎という柱、つまり鬼滅隊の中でも達人の領域に達した人物の扱いだ。
彼は強い再生力を持つ強敵、上弦の参という鬼に果敢に戦いに挑み、生命を落とす。そして、満身創痍の敵は闇に逃走し、生き延びる。

ちなみに、僕はスターウォーズのちょっとしたファンだ。だからだろう、柱をジェダイマスターと並べて比べてしまった。ジェダイマスターなら杏寿郎のように、死なば諸ともと猛進せず、不利な状況を把握し、生き残るための戦略を練り上げ、主人公、炭治郎とその仲間、そして汽車に残っている多くの乗客の生命を危険にさらすリスクを極限まで減らす努力をするだろうと思うのだ。

つまり、KO勝ちでなく、判定勝ちを選ぶ戦闘をした筈だ。それは、人の上に立つ達人だからだ。技と知恵、両方持つ者が達人といえるのではないだろうか。

しかし、杏寿郎は、柱という達人でありながら、朝日の昇る時間も計算にいれず、上弦の参に無残にも負けるリスクを考慮せず、猛進したのだ。彼ほどの技術があれば、時間は稼げたはずだ。ただの戦士ではない、柱という達人であるにも関わらず、多くの人間の生命を危険に晒したのである。

闇に逃げ込む鬼をみて、主人公炭治郎、はさけぶ。
お前は卑怯だ、お前の負けだ!と。

なんだか、判定で負けたボクサーの言い訳のようだ。負けは負け、世の中はそんな物である。ならば、判定勝ちに持ち込めばよかったのだ。

家族や仲間を救う為に真っ直ぐに生命をなげる、という、やや古臭い思想がそこにはあり、僕はアニメ版より、もっとモヤモヤとした気持ちを映画館を出た後も持ってしまったのだ。たかが、アニメ、そんなに斜に構えることもないだろう、と頭の中ではわかっているけれど。

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