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筒美京平氏に教わったこと。

筒美京平氏とは面識はない。ただ氏と仕事を密にしていた方々とはよく話を伺っていたし、僕がミュージックビジネスの世界に足を突っ込んだとき、一度、筒美京平氏の譜面とメロディだけの簡単なデモをアレンジし直して、編曲家に渡したこともある。
筒美氏の積み重ねた実績は、商業音楽の作曲家のあるべき姿として、ひとつの理想のモデルとして、崇拝されていた。
しかし、偉大さを頭で理解はしていても、僕は日本の歌謡曲を聴いて育っておらず、ニューヨークやロンドンで生まれたサウンドに傾倒していたから、制作やマネージメントの年長者に、筒美さんを聞いて日本の音楽を研究しろ!とよく押し付けがましく言われていた。
若さゆえの反発心もあり、僕はまったく研究もせす、ひたすら新しいビートや音色を研究していた。歌謡曲は、僕にとって、過去の産物でしかなかったのだ。
ある日、とても有名な音楽プロデューサーと呑んでいた夜、筒美氏の話になった。
彼が筒美氏の家にデモも受け取りに行った日、帰り際に、一本のビデオテープを渡されたそうだ。
Aちゃん、これは僕の心だよ、是非、見てほしいと、アメリカの映画を渡されたらしい。
その映画のタイトルは、ラウンドミッドナイト。
デクスターゴードン主演、バービーハンコックによるサウンドトラック、パリが舞台の一人のジャズミュージシャンを描いた渋い映画だ。
恥ずかしながら、僕はその話を伺うまで、その映画しらなかったのだが、昭和、平成とヒット曲を作り続ける先人の心がしりたくて、早速見た。
そして、歌謡曲と言うドメスティックなトーンの音楽を量産した筒美京平氏の心が、ラウンドミッドナイトというアメリカ的な映画につよく共鳴した事に、驚き、自分の無知を恥じ入った。
それから、僕は、筒美京平氏の作りあげた旋律達を、素直に聞くようになった。
ラウンドミッドナイトが、僕の心を揺さぶったというのもあるけれど、職業作曲家として音楽への向き合い方と言う物を、氏の作品から学ぶようになったのだ。
僕が歌謡曲を作る事は無いと思うけれど、音楽家の心の芯を、お会いする事の叶わなかった筒美氏から教わったように思える。
筒美京平先生、どうぞ、安らかにお休みください。

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