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東京大空襲 (あとがき)

私は今、横浜のとある老人ホームでお世話になっております。

体がうまく動かせず、ベッドから起き上がるのも一苦労です。
介護士の方々には、毎日のようにご迷惑をお掛けしております。
周りの、まだ比較的若い入居者の方々にも、お世話になっております。

体はもう十分に動かせなくなりましたが、五体満足です。
子供にも、孫にも恵まれ、幸せな人生を送ることができた。
心から、そう思っております。

家族も、たまにですが、お見舞いに来てくれます。
特に病を患わっているわけではないですが、お見舞いのようなものです。
私はもう、お迎えを待つだけの身ですから。

この歳まで、生きることができた。
自分一人の力ではございませんが、それだけで十分に幸せです。
それ以上、求めるものはございません。

現代は、物が溢れる時代となりました。
私たち昭和の底辺を経験した人間からすれば、信じられないことです。
とても、有難いことだと思います。

あの時代の私たちは、死に物狂いでした。
その日の生活を成り立たせるのも、難しかった。
一日三食を食べられない日のほうが、多かったように思います。

現代は、とても活発な時代になりました。
インターネット、新幹線、電気自動車、挙げたらキリがありません。
私は満足に使ったことが無いものばかりですが、喜ばしい時代です。

激しい時代の移り変わりを、この両目で見ることができた。
この事実を、私は誇りに思っております。
彼らに代わって、彼らの為に、見ることができました。

犠牲になられた皆様。
もう私は、謝罪を申し上げるつもりはございません。
私の謝罪など、何も変えることはできないのですから。

もうすぐ、そちらに赴くことになると思います。
今度は謝罪の代わりに、私のお話を聞いて頂きたい。
皆様が見ることができなかった、色々な物事、景色、時代。

そちらに行けば、時間はいくらでもあるのだと思います。
何時間、何日、何か月、いえ、何年でもお話させて下さい。
それだけ、皆様に伝えなければならない事があります。

家族の元を離れるのは、勿論辛いことです。
できることなら、あと何十年だって一緒に居たい。
ずっと一緒に、笑っていたい。

それが叶わない願いだということは、承知しております。
この動かなくなった体が、毎日のように私に理解させてくれます。
もう、覚悟は十分にできております。

現代に生きる皆様、皆様は幸せです。
そのことを、忘れないで頂きたい。
叶うのならば、私たちのことも、私たちの経験も、忘れないで頂きたい。

日本は様々な犠牲の上に、発展してきたのです。
その中でも最大の犠牲、これを忘れないでほしい。
私の、唯一の望みでございます。

長々と、大変失礼致しました。
私から皆様にお伝えできることは、これくらいかと存じます。

一年に、一度でいい。
一度でいいから、目を瞑って、思い出して下さい。
彼らの、とても、とても尊い犠牲を。

彼らの為にも、皆様は幸せに生きていって下さい。

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