見出し画像

言語交換アプリで現代の苦力(クーリー)に出会う

言語交換アプリ上で”XXのラクダ”というスクリーンネームの人から”Hello”とメッセージが来た。”XXの’の部分の中国語を英訳すると”下品な”という意味で、和訳すると”普通の”という意味だった。どちらの意味のつもりでつけた名前なのかを本人に聞いてみたところ、”普通”のほうの意味が正しい、という返事。

言語交換アプリというのは、自分が他人に教えられるスキルを持つ言語、と、自分が習いたい言語のニーズをマッチングするアプリである。たとえば私ならば、自分のスキルが日本語がネイティブでアメリカ英語がビジネスレベル、で、学習中の言語が中国語。そうすると中国語がネイティブで日本語または、日本語と英語の両方を学習中の人のリストが出てくる。プロフィールを読んで、ニーズが合いそうな人をみつけたら連絡してみて言語交換パートナーになる交渉をする。アプリには音声通話とビデオ通話機能が付いているが、私はまだ会話できるだけの語彙がたりないので、もっぱらテキストでの質疑応答と、録音ファイルのやりとりで言語パートナーに発声チェックをしてもらっている。

”普通のラクダ”氏のプロフィールには中国語がネイティブで、英語を勉強しているとなっていたので、「あなたが英語を学びたいなら、私は日本語じゃなくて英語で返事を書いたほうが良いですよね?」と問いかけると、中国語で書いてほしいという。それは少し変だ。だって、このアプリは相手が何語で書いてきても読むときには自分の読める言語に変換してくれる機能が付いているから、私が日本語で書こうと英語で書こうと、相手は中国語で読めるはず。反対に、わたしはまだ中国語超初心者なのでチャットに自力で中文をチャチャっと打ち込む能力がないので、中国語で書いてほしいと頼まれると、英文を翻訳ツールで中国語に訳したものをコピー&ペーストして送信することになり、手間がかかる。変だなあと思いつつ、あなたは何か英語についての質問がありますか?と聞いてもラクダ氏はのらりくらりとあまり関係のない話をしている。そんなことを言う必要がないのに、「あなたはすばらしい!」などと彼がやたらとお世辞を言うのも違和感がある。悪い人ではないようだけど、英語の勉強はしていないようだ。

放っておけばよいものを、翌日私は、「ラクダ先生、やっぱり私は英語で書きましょうか?わたしはあなたの言語学習の何を手伝ったら良いのかがわからなくて困っています。」というメッセージを普通のラクダ氏に送ってみた。すると半日して返信があり、「実は自分は教養がない肉体労働者で、紆余曲折の暮らしをしている。アフリカの国々で働いていたこともある。このアプリは言語学習用だから別のことに使ってはいけないのはわかっているけど、自分が言葉を教えて欲しいといっているのは口実で、誰かとただ話しがしたいだけで利用している。自分には教養がないからたぶん学習アプリを使うべきじゃない。けど、友達が作りたかった。ごめんなさい。」とのこと。

わたしは、「わかった、まあ正直に話してくれれば、それでいいですよ。」と返事した。ただ、私としては目的もなく知らない人と翻訳ツールを使ってまでだらだらとおしゃべりをする気はないので、普通のラクダさんとはそれが最後のやりとりとなった。アフリカのどこかの国で出稼ぎ労働をしている中国の人が一日の終わりに英語が習いたいとか日本語が習いたいとか嘘をついて、外国の女の人とチャットするのが楽しみになっているのを想像した。祖国にいれば、自国の人と友情なり恋愛なりを発展させていくオプションがあるだろうに。地球の反対側にいて翻訳ツールなしでは会話も成り立たない相手と話すことのどこがいいんだろうか。ただ息抜きの魚釣りみたいな感覚なのかな。もちろん、出稼ぎ労働者だという話自体も全部嘘の可能性もあるが、彼が何度もくりかえし自分には教養がないからと卑下していたのを思い出して、「現代の苦力(クーリー)」という言葉が心に浮かんだ。
それで、少し悲しい気持ちになった。