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パルチザンの唄を口ずさむ

 秋の新学期を控えた7月中旬、正式にもうオフィスへもどらないことに決めた。

 勤務先はアメリカの田舎の州立大学の管理情報システム部門。パンデミックが一旦落ち着き、2000年3月のロックダウンから16か月続いたにわか仕立てリモートワークから通常の勤務状態に戻すにあたり、対面作業が少ない職種のスタッフは各自の判断で働き方を選ぶ事になった。100%オフィス常駐、100%リモート勤務、オフィスとリモートのハイブリッドのオプションがあり、私は100%リモートか、ハイブリッドにするかで迷っていた。

 6月にチームの人と話し合った際には、今年度の途中で新しいスタッフを入れる予定があるから、そのサポートトレーニングの面からもメンバーが週3日同じ曜日にオフィスで作業をしてあとの2日間をリモートにするハイブリッド勤務がいいのではないかということになった。新学期が始まる8月から出勤、のはずだったが、上層部の都合で突然前倒しになり、6月の最終週、「翌週からキャンパスへ出勤するように」とのメールが送られて来た。

 急に言われても私は1週間のドライブ旅行中だし、他のチームメートも半分休暇がてら州外に長期滞在していてしばらく家に戻らない。休暇明けの7月6日、うちのチームからは、私だけが出勤した。以前は35人のスタッフが常駐だったオフィスに部長と私ともうひとり他のチームの人がいるのみ。

 その朝、ブレークルームに一歩足を踏み入れてムッとする蒸し暑さとカビの臭いにぞっとする。空調機器近くの床がびしょ濡れでカーペットにうっすらとカビが生えている。部長に報告し、ファシリティの人に点検に来てもらう。男性が2人来て扇風機を設置していく。

 翌7月7日、今度はオフィスの別の場所が水浸しなのを見つけて再びファシリティに連絡。また扇風機を数台設置。

 うちのオフィスは19世紀後期の建造物の地階で、以前から水漏れやらコウモリの出没と問題が多かった。人が居ればすぐ気づいて修繕するところを一年以上無人で、毎日セキュリティの人たちが見回っていたとしてもキュービクルの隅でなにか壊れていても気づかなかったのだろう。ファシリティがテストした結果、空気中に黒カビが含まれていて常駐するのは危険なことがわかり、本格的な除去作業のためオフィスはパーマネントに閉鎖されることになってしまった。

 私は別の建物にテンポラリーのワークスペースが見つかるまでリモート勤務に戻るように言われる。100%自宅勤務希望を出した人たちもオフィスを閉めるからその週のうちに荷物を全部引き上げてデスクを空けるように言われる。

 その、2日間オフィスにいる間に部長から、自分のチーム以外の全員が100%リモートを希望したことを聞いた。35人のうち2人が転職、あとの30人は自宅勤務。たとえ自分がキャンパスに戻っても他の人とはズーム会議でしか会わない。オフィスに戻ればパンデミック以前と同じ状況で働けると思っていた私は出鼻をくじかれた。

 そのほかにも、事前に聞いていた話と違い、今後は大学から各人にラップトップ1台とモニター2台を支給されるので、100%リモートワークの人はそれらを自宅で使い、ハイブリッド勤務の人は支給された機器はオフィスで使用し、自宅オフィス用は自費購入、但し作業は支給されたラップトップのみを使うべしとのことで、ハイブリッド勤務者は常にラップトップを持ち運ぶことになるのと、モニターと周辺機器の購入などで持ち出し費用が多くなることがわかった。

 カビ臭いオフィスに座りそういう諸々のことを聞いているうちに「職場に戻る」ということがばかばかしくなった。うちのチームメートと打ち出した円滑なコミュニケーションのために週に何度か対面勤務をしたほうがいいのではないか?、という方針はまったくナイーブなアイデアで、他の人たちはさっさと別の軌道に乗った感がある。マネジメント側も全員自宅勤務をしてくれたほうがオフィススペースその他の経費が削減できていいのだろう。

 翌週、デスクを片しに行ったときに何人か同じく荷物をまとめに来た人たちに会った。

 20年以上一緒に働いたすこし年上の同僚が、「人のためじゃなくて、自分が一番働きやすいと思う方法を選んだらいい。」と助言してくれた。そんなふうに助言を貰えるのはそれまで積み上げてきた対面での信頼関係があるからなのだけど。

 多少なりとも対面作業があるハイブリッド方式に固執するか否かをもう一度自問する。そして、私は前言を撤回し、自分も100%リモートワークに変更したいと直属の上司に告げた。

 去年、パンデミックのシャットダウンが始まってすぐの時期は、みんな混乱していたけれど、まだ一体感があった。大統領選や、マスクをするかしないか、人種問題と暴動、さらに今年に入ってからワクチンを打った人が打たない人を激しくバッシングすることが続いている。分断は細分化していくのみだ。

 何かのムーブメントが起きるたびにどちら側に立つかによってあっという間に非難される側に回ってしまう。他人とちょっとした話をするのでも自分と同じ側の考えの人なのかわからないからまったく当たり障りのないことしか話せなくなる。反対側に居る人とは意見の交換さえ成り立たないことが増え、職場の人とは仕事の内容の話だけに特定して話すほうが無難で、相手によっては雑談のほうがストレスフルだったりする。

 そういう背景を鑑みて、家に居る。

 振り返ればすでに一年半も自宅勤務なので、大幅に何かが変わるわけじゃない。でも、実際のところ郷愁のために、少し気持ちが沈んだ。時にはタコ部屋に近い空間で締め切りに追われながら一緒の時を過ごした戦友のような同僚がいる職場。誕生日の人がベーグルやドーナツを持ってきてシェアしたり、ちょっとした立ち話、誘い合ってランチに行く、誰かに子供が生まれたり、誰かが親を亡くしたりしたときは集金袋とカードが回ってきて自分も一言添えて次の人に回す。そういう、ずっと穏やかで和やかな職場だった。

 外の、いろいろな物事が凄い勢いで変わって行く。明らかに辻褄の合わない変な規制、統制、雰囲気というものが出来上がっていく日々に、パルチザンの唄を口ずさむ。

以前のような日々には、もう帰れないから。