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夢の横丁の団子屋

   今日も買えなかった。饅頭も団子も。仕方がないと諦める。そもそも設定がおかしい。アメリカの田舎に住んでいるのに昭和の横丁の薄暗い市場の一角にある団子屋で何を買おうかしらと迷っている。絶対夢だから、本当じゃないから、という意識が少しあるけれど、夢の中ゆえにタガがはずれて「今日こそはホントかも」と思ってしまう自分。今回は団子屋の奥さんが隣接した事務所に行っていて不在だったのと、何を売っているのかよく見えなくて買いたいものを短時間で決められなかったのが敗因だったが、私に気づいた近くの店の人が奥さんを呼びに行ってくれて、ほっとしたのもつかの間、奥さんが「すみませんねえ、前にESLで教えた学生さんが電話をくれたので話をしていて盛り上がっちゃって。」と不在だった理由を話し始めたところで、え?なんで団子屋さんがESLで英語教えてるの?となって、目が覚めた。

   手を替え品を替え、同様の夢を見る。いつも「夢のような話だが近所に日本の菓子屋ができた」という設定で、あるときは、ちかくのデパートの化粧品フロアの一角に和菓子コーナーができて風月堂のゴーフルとかパピヨット、銘菓ひよ子など少し日持ちのするお菓子が買えるようになったということで、行ってみると開店してすぐなので販促でスチュアーデスさんのような出で立ちの日本人の女性が切り盛りしていて。「ウッソー、すごーい。」と感動したが、それもやはり、夢の中なのだ。目覚めてみれば風月堂のゴーフルが売られているはずがない。パンデミックの影響でそのデパート自体が倒産し、その場所は今や家具店に変わってしまっているし。

   きちんと目覚めている時間に、「ああ風月堂のゴーフルが食べたい。」と思ったりしないし、日本にいるときにも自分で買ったこともないのに、夢の中で崇め奉っているのはなぜ?子供の頃に来客の手土産や、親が結婚式の引き出物にいただいてくるレアな食べ物だったから?団子にしたって、そんなに強烈に食べたいと思いながら暮らしているわけではない。ただ、どうしても食べたかったら、自分で小豆を煮て、もち粉をまるめてというところから始めなければ、手に入らない。団子屋の夢はこれからも見続けるだろう。この地に住んでいる限り。