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近年のミニマリストと寝そべり族

最近「ミニマリスト」というワードをよく耳にするようになった。
特に今年は著しい。
数年前からじわじわと感じていた「ミニマリスト」の言葉の威力は少しずつ増しているのではないだろうか。

自分はミニマリストの生活とは遠く離れた存在であるので、物を減らしたいとか少ないもので暮らしたいとは一切思わない。
一切というのは語弊があるが、必要なものは必要。

(そんな私にもミニマリストに憧れ、物を減らす生活をしていた時期が6年位前かな?に合ったけど…。)

最近は不自然なほどに身の回りの物を断捨離し過ぎなのではないか?と思える人を見かけることも増えた。

私の友人にももう何年もミニマリストを名乗っている人がいる。
彼は本当にミニマリストだと感じる。
ちょっと言葉が幼稚になってしまうが「本当にミニマリスト」の生活なのだ。

部屋にはほぼ家具もなければ調理器具も少ない。
必要最低限の暮らし。
いつでもクリーンな状況の部屋に住む彼には感心したものだった。

話は変わってしまうが、私は人生の豊かさは何もない状態の自分にどうやって着色していくかが肝だと思っている。
着色というのは例えば普段の生活に好きな食べ物を作るという喜びを着色したり、好きな衣類を着るという楽しみを着色したり、時間があれば家にある絵画道具で絵を描いたり工作してみたり…ということを私は着色と呼んでいるのだけど。

そういった余白を楽しく塗るものがあると、お客人をもてなすこともできるし普通の一日をより特別な一日に仕上げることもできる。

と思ったのだけど、近年見かけるミニマリストの方からしたらそれこそが余計な行動なのかもしれないなぁ。

少し前のミニマリストと今のミニマリストは本質が違って見える。
お金がないからミニマリストになっているような感じもする。
考えることをやめ、自分のできる中でのスタイリッシュさを考えずに継続できる方法というように感じる。

ミニマリストの概念をすべて理解しているわけではないので、言い切れるわけではない。ごめんなさい。

ミニマリストの概念の中には思考をクリアにするために行っている人もいると思うので私が先ほど述べた「考えることをやめ、スタイリッシュに」は正しいかとも思うけど、私が言いたいことは「考えることをやめ、更にはそこでできた空き容量を他のことに使わない人も多いのではないか」と感じるということだ。

近年特に先進国でも増えている若者の競争離脱と似ているのかな。
特に中国なんかでは「家を買わない」「結婚しない」「消費しない」など、お金のかかることを避けて、シンプルで迷惑をかけない暮らしを選ぶ若者のことを「寝そべり族」と呼ぶようで近年増加傾向だそう。

これって近年の日本に増えているミニマリストにも言えることなのかなって。

一部の発信者としてのミニマリストは違うと思う。
それを見て実践している若者にこの寝そべり族化は見られるように感じる。

収入が高くなるわけでなければ税金はたくさん持っていかれるし、生きてるだけでお金はかかるしで気持ちもとっても分かるけど…。

私はそんな生き方を否定したいのではなくて、せっかく生きているのならば自分の楽しいことを見つけて幸せに生きてほしいなと思うのである…。

なんて、今仕事を手放し物理的に寝そべり族な私に言われても響かんよなぁ。

でももし精神的な寝そべり族から解き放たれ、土を触り人と触れ合い、美味しいものを囲って食べ暮らすなんてことをして、精神的に満たされる生活がしてみたいとか、そんな体験をたまにでいいから体感して幼少期を思い出したいとかそんな風に思ってくれる人がいたら連絡くだされば全力で私がおもてなしします。

(仕事とかではない。笑)

楽しく過ごして、精神的な充実を程よい物に囲まれ満たす。
そんな日を一緒に作りましょ~。ってどんな記事だこれ。(笑)

普段は都内に住んでいるけど、言ってくだされば静岡の自然の中でおもてなしさせていただきますよ。


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