見出し画像

写すということ。


昨日地元の友人に久しぶりに会った。
久し振りとは言いつつ最後に会ったのは2ヶ月前、彼の手術のタイミングだったかも。
彼は2ヶ月という短い期間の間に恋人とヨリを戻していて、身体からは彼自身が数年前に使っていた香水と似た香りがしていた。

だからか、お陰で写真を撮るのが楽しくて仕方なかった日々を思い出した。
どんな景色を撮るのが好きで、どのように編集するのが好きで、どういう気持ちだったのか。最近写真迷子だった私に救いの手が差し伸べられたと感じた。

自身の働くバーに撮影が本職の方が来て、オーナーがこの子も写真撮るの上手いんですよ〜なんて言うから「君も写真撮るの?」と聞いてきたことがあった。
私は本業の方に「撮ります」だなんて胸張って言えなくて、「前はフィルムカメラで撮ったりして遊んでいたけど、今はあんまり…」とごにょごにょと答えた。その方は「そっか。じゃあもうカメラは卒業だな。」と言い放ち次の話題に変わっていった。
そこからずっと考えている。
というか、その人に言われる前からずっと考えてた。
写真を撮ることってなんなんだろうって。
私が満足いく写真を一眼で撮れたなって思っても、友人や家族がiPhoneで撮った写真を見ると十分綺麗なんだよ。
写真の現像場にバイトに行った時も熟練のスタッフさんからは「最近の写真ってブレブレでもこれでいいんだって。理解できないよ。昔はこんな写真絶対受け入れられなかったのになあ。フィルム代も現像代も勿体無い。」という言葉を聞いて、ブレてもフィルム風に調整効かせたらそれっぽくなるよなーと思っていた自分を当て嵌めて、中途半端に流れに甘んじていた自分を恥ずかしく思う。

綺麗に撮ってもスマホでみんな同じような写真が撮れ。
味があっていいなと思う写真は、ただ今の流れに揺蕩う像。

撮影の技術と知識も曖昧。

撮ったってしょうがない。
そう思って撮らない時期もあった。

でも友人と一緒に渋谷を歩きながらあの香りを嗅いだ時、思い出した。

写真撮るのって自己表現なんだから、自分の好きなものを写してるだけでいいんだって。

それだけで十分なんだよ。
誰かと比べる必要ないんだよ。
自分が良いと思った光景を自分のために撮って残してるだけなんだよ。

そうだったんだよ。

よかった。またこの感覚を思い出せて。

友人に感謝した気持ちを忘れないために綴っておきます。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?