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生きる意味を考えてみる

「うーん
生きる意味って何だろう?
とか言うと
幸せになることとか言われるかな?
でもそれは違うと思う。
それはつまり生きることと幸せなことは全然違うことだからだ。」
「そうか。
ならばどうしてそれが違うと言うのかな?
君は幸せになることが人生の意味とは思わないのか?」
「それは多分そうではないと思う。
というのは幸せになるためというのが
人生の主題だと言うのは私は違うと思うからだ。
というのは幸せとは要するに概念であり、
絵に描いた餅なのだ。
それは実在するのだろうか?
かなり怪しくないか?
妄想ではないだろうか。
私はそう思うのだ。」
「確かにそう言えると思う。
幸せな虚像やイメージを追い求めても
それが現実に幸せになるとは思えない。
それは妄想と錯覚的にそうなるはずだと
思わせるだけのものではないか?
だとしたら、そんなもの追いかけるだけ無駄だ。
自分が一体何をしているのだろうかとか
疑問に思うべきではないかと
思いますよね。」
「そうでしょ。
実際に他人がそうだからと言って自分が
そんなトラップに引っ掛かることはないでしょう。
無駄な感じがしませんか?」
「ですよね。
ではどうしたらいいのか
と言うと
それは分からないけど
でもそれが正しい道だとは思えないね。」
「そうなるよね。
で、実感はない。
現実はそんなものかな?
で、こうして考えることで何か得られただろうか?
いや、別に得られたものはない。
ただ間違いや迷いから外れた気がする。
それだけかも。」
「それならここまでで何が言えたかな?
そうだな、つまり何も言えていないな。
人生とはイメージを模倣することではない。
それは確かだな。」
「だな。
ではここからどう話しを進めよう?
そうだな。
何をしているとき幸せを感じるだろうか?
私ならそれを突き止めることに意味があると考えられるかもな。
でもそれも妄想か?」
「そうは言えると思う。
妄想だらけなんだよ。
つまりイメージの羅列ばかりが人間の脳の活動になってしまうのだろうか?
人間イコール脳ではないのだからさ、
つまり脳がそう考えるからと言って
現実はそれではないんだよ。
当たり前だけど。」
「つまり幸せになりたいのならば
なればいいのだ。
実際にそうなればいい。
それを邪魔する者などいない。
そもそも人生と幸福とは関係がないのだ。
そうしたいなら
そうすればいい。
それだけだ。」
「では何が問題だったのだ?
それは仕事の問題か?
脳が問題を求めているからだろうか?
問題解決をしなければ幸福がない訳ではないだろう。
それも全く関係のない概念であり
これは明らかに勘違いである。
脳は情報処理をしたがっているのかもしれないが、
それと現実は何の関係もない。
ただの脳の意欲とか惰性的な習慣からそうなるだけだ。
つまり意味はない。」
「私もそう思う。
つまり脳がそうしたいことと実際にやるべきことは違うはずだ。
そうでなければ現実がある意味が分からない。
つまり本能的に脳がしたがることが現実的な意味を伴うとは限らないだろう。」
「普通にそう思える。
と言うことは考えることが
脳の本能ではあるけど、
その義務はないのだ。」
「確かに義務はない。
でも本能はそうしたがる。
しかしそこに意味はあるのか?
そう考えると
恐らく意味はないだろう。
考えたくなるからと言って意味がある訳ではないはずだ。」
「ふむ。
さてどうなっただろうか?
つまり言えるのは考えたいことと
現実が実際にどうであるかは
はっきり言って関係ないと。
では何がしたかったのだろうか?」
「それはつまり習慣が正しいと言う訳ではない
ということだ。
つまり習慣化されていれば正しい
のではない。」
「当たり前じゃないか。
習慣と正否は全然関係がない。
それで納得できる。」
「そうだな。
そろそろ疲れてきた。
ここまでにしておこうか。」
「こんな感じで適当にメモしていこう。
別に意味を求めている訳ではない。
ただ間違いに陥らないように
メモを置いておくこともいいかも知れない。
ただそれだけだよな。」

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