【こっち側の集い】
大好きで毎回見てた若林の番組が終わってしまった📺
こっち側の人、いわゆる気弱で消極的な人の総称。
それに対して、あっち側の人は活発でキラキラしてて積極的な人の総称。
その、こっち側の人達にスポットを当てて色んなあるあるを笑い合う番組やった。
なぜ、僕が大好きやったかというと、僕もモロこっち側の人😆
あるあるが分かりみ過ぎて、共感しまくりやった。
コンビニで店員さんがレジに来ない時、ウロウロ一周するとか商品の音を立てるとか、「スイマセーン」が言えないとか。
仕事行く前に魂の充電場所が必要とか、昼ご飯はキラキラした仲良く喋る人達をを横目に独りでモクモクと食べるとかw
仕事終わったらチャイム鳴ってすぐ最短距離で帰るとか。
わかりみの極み😆
ただ、こっち側の人にも色んな種類があるんやなーとそれぞれの個性が面白かったり。
僕はこっち側の人やけど、スポーツも勉強もできる人やったから、それでそういう時は活躍できたりしてた。特技があるのは利点でもある。
中学の時にさん粘性の受験時に仲良くなった同じクラスの5人組がみんな頭が良く成績優秀で、その中にいたからこそ、もう勉強するようになって、会話とか一緒にいても勉強の話が多かったけど、たまにの気晴らしで遊びに行くのも今では楽しい思い出。
そんな僕らは5人はどちらかと言えば、いや完全こっち側のグループやった。
クラスカースト制的なんはなかったけど、何となくあっち側グループ、こっち側のグループって当時からあった気がする。
そんな感じで勉強したから、希望の学区二番目の高校には行けなかったけど、三番目の公立に行くことができた。
高校でもこっち側の人の根本は変わらず帰宅部やったため、キラキラした高校生活は送ってない。
帰宅部なのにスポーツはできて足が速かったから、体育祭や球技大会では活躍してたけど。
高校三年生はイジメとかもあって、よりこっち側の人になって、コミニケーション取れず、やることはひたすら勉強やった。
おかけで成績優秀で内申点と志望論文のみで指定校推薦で立命館大学の理工学部に。受験してません。
大学になったら大学デビューとは上手く行かず、キラキラした人達とは違って、こっち側の人グループとまた仲良くなり、その人達と大学三年までほぼ過ごす。
大学生で始めたマクドのバイトも同じくそんな感じやった。
転機は大学四回生か。
研究室に配属され、そこの研究室は先輩も同級生もあっち側の人がワンサカ。やっていけるのか僕はここでと思ったけど、住めば都。
苦手なことも周りがあっち側の人達ならやるしかない。ソフトボール大会とか色んな旅行とか一緒にキラキラした生活を送る日々に✨
マクドのバイトも慣れてきて、あっち側の後輩たちとも仲良くなり、よく遊ぶようになった。あっち側の極みカラオケとか飲み会とか夜更しで夜な夜なとかするようになったのもこの頃から。
お陰様で大学院に内部推薦で行けて、就職も狙った企業に一本で内定。就活ほぼしてません。
結局、受験も就活も1つも落ちることなく、ストレートで来た人生。
社会人になると会社では、こっち側の人が戻って来てうまく馴染めない。
その変わり、プライベートではヤフーチャットとかで仲良くなったあっち側の人たちと遊んだり、キャンドルナイトとか有頂天キャンプとか、いわゆるあっち側の極みな人達と遊ぶようになった✨
まぁ、そのキラキラした人達は凄い分けで、行動力あるし、何でもイベント立ててしまうし、常に希望や夢を語ってるし。
ミュージシャン、ラーメン屋、写真家、プログラマー、イベンター、絵書き、文字書き、色んな人がいて、みんな夢を叶えて独立していった。
そんな僕は何人かあっち側の女の人とも付き合ったけど、うまく続かず、あっち側の花見のイベントで出会った、こっち側の女の子と付き合うようになり、結婚まで。それが今の妻。妻は完全にこっち側の人だw
そんなこんなで、マラソンもトレランも始め、あっち側の人達ばかりの中で走り続けてきた。
僕は人生でこっち側とあっち側に揉まれて成長し、意識も変わり長年勤めた企業の研究者を脱サラして、独立起業に至った。
そう考えたら、人生はこっち側の人でも行動や環境次第で変えられるし、キラキラした人生を歩むこともできる✨
それは若林やミトちゃんを見て思った😍
ここまで読んでくれた、そんなあなたはどっち側ですか?
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