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なぜ「怒ってはいけない」なのか?を考える

 益子直美さんからお話を聞く機会が何度かあり、最近メディアでも取り上げられている、「怒ってはいけない」というものについて考えてみました。
 スポーツ界、特に子供たち世代のアンダーカテゴリにおいて、大人である指導者からの過剰に強い指導、それがハラスメントや暴言、そして体罰とエスカレートしている現状が、昔も今も変わっていないことへの警鐘となっています。
  その根本要因の一つであるとも考えられるのが、指導をする大人が、選手である子どもたちへ向けてしまっている「怒り」という心理と「アンガーマネジメント」です。

元バレーボール全日本代表の益子直美さんがユニークな大会を主催。 それは “指導者が選手を絶対に怒ってはいけない”というルール。 はたして益子さんの思いとは?

Posted by TBS NEWS on Thursday, January 30, 2020

「怒ってはいけない」だけが目的化なのではない

 益子さんのお話を伺っていると、テレビや記事の情報だけでは、この事業の取組の大事な精神や、益子さんの願いが伝わり切っていない部分が多いなと思い、今回noteに書いてみようと思いました。
 
監督が怒ってはいけない「益子直美カップ」

 テレビなどで放映されているのは、無意識に不機嫌になっている指導者の姿、声を荒げたくなるのを必死に堪えている指導者の姿、そして怒ってしまった場合のペナルティのマスク・・・。そういったある意味大人がダメ出しされるとも見える場面が伝えられています。ともすると、声を荒げる、大きな声で叱責をする・・・そういった「怒らない」を禁止することばかりがクローズドアップされているように思えます。
 「怒らない」、「怒ることを禁止する」・・・ともすると、それだけの取り組みだけだと思うと、なにかやや次元の低い、稚拙なことなのかという風に滑稽にとらえる人もいるのかもしれません。

(怒ることを禁止するだけのイベント)「その認識は違うと思います」

 怒ってしまうことを非難されるということではなく、それが恥ずかしいことでもない。
 今まで誰からも指摘されてこなかった自分の態度や言動を指摘されたり、間違いだと疑いもしなかった自分の姿勢を変えることに抵抗感を覚えるというのも自然なこと。

 しかし、「怒ってしまっている」という自分の言動や心理に気づき、その気づきを糸口に、よりよいコーチングとは何か?怒らなくても、精神論をぶつけなくても選手を伸ばすことができるということをともに考えていくための取組なのではないでしょうか?

「怒ってはいけない」に隠された学びを見逃さない

 この「監督が怒ってはいけない」いけない益子直美カップは、ただ単に「怒る」という言動を禁止、指摘(ダメ出し)されるだけだというものではないわけです。指導を入れるためだけが目的ではなく、参加者に新しい気付きを得てもらうための機会になっているわけです。
 益子直美さん自身が、そのキャリアや経験、実体験の中で味わったことをもとに、今の時代の子どもたちやスポーツ界、そして何よりも日本のバレーボールが、海外各国に後れを取らないより豊かで成熟したものになることを願い、

・「怒る」指導が選手にもたらす影響や弊害
・「怒る」指導者の心理が発生する要因や背景
・「怒る」ことを手放したときに生まれてくる新しい価値
・指導者の学びの必要性・重要性の見直し
・「なぜ」怒ってしまうのかという指導者の存在意義への自問自答
・「怒る」ことは指導力なのか?


 こういった、怒りの心理の原理や背景を考えることや、アンガーマネジメントを学ぶこと、そういったものを通して、大人の指導観や観察力、そして精神論に依存しない本当の意味での指導力向上への取組となっているわけです。
 私も経験上、アンガーマネジメントという言葉すら世で言われることのなかった時期、怒りを選手にぶつけ選手を追い込み這い上がらせることができれば、成長や勝利があると思い込みやっていました。
 それが時代とともに価値観や倫理の枠組みが変わっていく中、はじめは受動的に適応させるも、いつしかそれが、かつての怒りや叱責による指導をしなくても選手やチームを成長させることができることがわかりました。
 そこで、個人的に一番の成果は、自分自身の豊かな生活です。
それまでは、心身ともに公私ともに疲弊しきったままでの生活でしたが、気づきと学びを得て変容していく中で、かつてのような何かにとりつかれたような焦燥感や悲壮感、そして疲弊が軽減されてったのです。

 ひょっとしたら、「監督が怒ってはいけない大会」に関心すら寄せていない人々が抱えている心理の方が深い闇があるかもしれません。
 この取組は、怒ることにダメ出しをしたり、禁欲的な指導をする大会ではなく、指導者や保護者が自分自身を見つめ、自分も選手も今より豊かな経験ができるよう成長を導くものではないでしょうか。

「怒ってはいけない」は単なる通過点、そしてそこから脱却する日こそが

 「怒ってはいけない」その先も考えられているようです。
勝手にネーミングつけちゃいますが、
監督が起こってはいけない「NEXT」
監督が起こってはいけない「アドバンス」
監督が起こってはいけない「2ndステージ」
みたいに、ただ単に「怒る」ことを抑制・指導するだけではない、怒ることを手放した時に、どんなコーチングが待っているのか、そしてその先にある境地がどれだけこれまでにない成果を選手や指導者自身にもたらすのか。
 よく耳にするのが、指導者である大人自身が、暴言や体罰、厳しい上下関係で課せられた理不尽な要求、ハラスメント・・・こういったことを乗り越えた成功体験の自負です。そこから、あたかも成長や勝利のための絶対的な必要条件だと錯覚を起こし、次世代にも同じ要求を繰り返してしまうという悪循環です。
 そしてもう一つは、トップや常勝指導者の強力なリーダーシップ、支配的な上意下達にみえてしまう表面的な指導スタイルにカリスマ性を感じ、それをモデリングの対象としてしまうということも少なくないと思います。

 時代の価値観の変化は、刻々と変化しています。しかもめまぐるしくショートスパンで変化しています。これからの時代にあって、よりよい変革にチャレンジする取り組みは暗中模索、試行錯誤で、最初から万人に理解されるものではないかもしれませんが、日本のバレーボール、日本のスポーツの価値観がグローバルスタンダードに近づき、結果豊かな成果が得られることを願います。

 ただ単に過去の努力や成果を非難、否定するということではない、これまでの先人の苦労や努力に敬意を払いながら、よりよいバレーボールのコーチング、育成マインドや育成システムを再構築し、世界の中でも輝ける日本のバレーボールを取り戻す糸口は、代表強化やトップカテゴリ強化だけではないということをみなさんでシェアしていきたいです。

叱る・叱責することを撲滅するのではない

 かつて、「褒める」・「褒めて伸ばす」という価値観が世で脚光を浴びたころ、それこそ何時もいかなる時も見守り、笑顔でやさしく受け止めてあげなければいけない、指導すればパワハラとかモラハラと言われてしまう・・・みたいな空気が強まった風潮がありました。
 「怒ってはいけない」
は、怒ることゼロにしろということか?
と勘違いしている人が多いような気がします。
しかし、そうではないと個人的には考えていて、
 ・モラルやマナー、道徳性や規律に反することは厳しく指導する
 ・指導者があらかじめ提示した「ライン」に反することは厳しく指導する
 ・約束や契約に反することは厳しく指導する

こういったことには、怒る(叱る・叱咤する)べきところは妥協はしないはずだと思います。

 つまり、指導者としては、
  ・倫理性
  ・客観性
  ・理性
  ・合理性
  ・公平性

 こういったことを常に指導や評価に反映させ、評価の規準を選手たちにも理解させたうえで指導することが重要なのだと思います。
 そして、このことは、指導者自身の指導スキルが試され、これらのことに向き合いながら指導していくことが、指導スキルの向上につながっていくことを私たちは理解しなければいけないのだと思います。

(2021年)

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