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マインドフルネスの形・格闘技のすすめ

きっと、心理学が好きな方やセルフケアを心がけている方は、マインドフルネスのタイミングとかスタイルがあると思う。

普通座ったり寝転んだりしてやるものだと思うけど、どうやらわたしにはなかなかそれがうまいこといかない。なんていうか・・・邪心?余計な思考?が入ってきて、集中しようと思えばするほどできない。頭がスッキリするどころか、うまくできないことの方に気を取られる。本末転倒。

今回は「座って~、ハイ、始めるよ~」で瞑想入りできなかったり、手順があるとそれをフォローするのに気をとられて本末転倒するタイプの方は共感して頂けるところがあるかもしれないので、書いてみます。
まっさらな自分にしばらく会ってない方なんかも、参考にしてみてもらえたら嬉しいです。

普通の瞑想ってなによ?

例えば、早朝。深夜。

誰も起きださないような、太陽さえも顔を見せないくらいの静寂の中で自分と向き合う。感じることをひとつひとつ受け取っては置き、流れる思考を通り過ぎて自分が「今ここにある」ことを感じる。(こう書くととても崇高)

「今ここにある」ことを感じるって、簡単なようですごーく難しい。
どうしても思考が入って、考えてはダメと思えば思うほど考えが邪魔してくる。だからわたしはいつも、森の中を歩くようなイメージをしてる。

自分の心の森の中。モヤモヤは緑深い森に変わり、嫌なことはちょっかいを出してくるコウモリや苦手な虫なんかに変わる。嬉しいことは木漏れ日や耳心地の良い鳥の鳴き声になる。
これはこれで自分の心を歩いているような感じがして悪くない。

だけど、自分の世界を森へ変換しているのはかく言うわたし本人であり、「ただそこにある」のではなくて「こうあるだろうを絵で再現してみた」になってて、本当に「ただそこにあるわたし」を感じているのかというと疑問に思えてきた。

感じたいのは、もうちょっと違うもの。
もっとシンプルに、もっと根っこのところにある感情や感覚を。
何重にも覆い、自分でもどこにあるか分からなくなったわたしの出どころを。
「こんな風にできました」って投稿してる自分を「うんまぁこんな感じならいいのかな」とかそっと安心してるわたしではなくて、もっともっと、奥深くにあるど真ん中のものを感じたいのに。たどり着けない。。

根拠のない、湧き上がる欲求

そんな頃、時を同じくして、どうしてこんなに強い思いが沸き上がるのだろうかと思うほど、わたしは『ブラジリアン柔術』という格闘技にハマっていった。
息子二人がトレーニングを始めてもう2年程。格闘技と呼ぶにはまだ小さくて、キャッキャと遊んでいるような息子たちを眺めながら、いつの間にか沸々と闘志に火がついてしまったのだろうか?

2021年、41歳。もともと格闘技はなぜか好き。20歳くらいの頃はK1やPRIDEが流行っていて、年越しに格闘技を観るのが楽しかった。夜の東京でホンモノの格闘家を見つけた時はまぢで嬉しかった。(キングカズの時も相当嬉しかったけど)
青春時代をNoスポーツ(No部活つまりAll勉強)で過ごしてきたわたしは、マインドだけは若いまま鬱屈した思いもあった。もっとできたのに。きっとやれたのに。わたし、足も速かったし色んなところで声かけられたけど何もできなかった。(なかなか根に持ってる)
そんな思いを知っている旦那も、そしてわたし自身も、さすがに格闘技デビューするには遅すぎるんじゃ・・・そう思った。
だけどこれが旦那さんの良いところ。

「そんなにやりたいならやったらいいんじゃない。
誕生日プレゼントにしてあげるから」

この人は時にものすごいことをしてくれる。
わたしが開けられないドアに持ちやすい取っ手を付けて、鍵を開けて放っておいてくれるような感覚。あくまでわたしが開けるようにしておいてくれる。でも、ほぼ全部のきっかけをくれる。
勇気の神様がやってきた瞬間だった。

こうやって、わたしはいよいよブラジリアン柔術を始めた。

シンプルかつフルコンタクト、力と技の組み合い

ブラジリアン柔術は、寝技中心、フルコンタクトの格闘技。打撃はなし。
技によって入るポイントの合計か、関節技や締め技で一本勝ちするかで勝敗の決まる競技である。

道場は、年齢・性別関係なし、体重階級関係なしのミックスクラス。笑っちゃうほどガタイの良い男性が多い。女性は1クラス5~15名前後の参加者のうち、1~4名くらい。まぁそれでも、わたしより小さい人はいない。わたしより年上も数えるほどだ。(人種構成はほぼオージー+ブラジリアン。日本人はわたし以外いません。そうここはオーストラリア)
格闘技で体重差はかなりのハンデである。50kgいかない位のわたしが、80kgとかの屈強な男に押さえ込まれたら、息をするので精一杯。(たまに肋骨が変な音を立てる)
関節技をかけられたら、タップして「もう無理やめてぇぇ」と主張するので精一杯。(頭挟まれた時の耳とかかなり痛い)

こうやってギリギリの状況で身体ごとぶつかり、ガッチガチに締め上げられていくという経験をし始めた時、わたしはかなりまっさらな自分を見つけることができたのである。

シンプルに、相手に少しでも仕掛けるために。(白帯のくせに)
そして自分の息を確保するために(笑)

このシンプルかつギリギリのやり取りは、感覚をより強いものにし、自分の奥底にある感情を引き出してくれるきっかけになった。


何って、終わった後の自分の素直さに驚く。
喜怒哀楽がストレートにそのまま放出されていく。
良く笑い、あんなに泣けなかったわたしが人前で泣いた。

自分の技量が足りな過ぎて、何やっても負けて悔しくて、泣けてくる。(まだスパーリング中)
初めて会ったチームメイトと話ができただけで嬉しくて心踊る。(帰りの車で叫ぶ)

わたしは座って瞑想しても自分の感情を見つけてあげられなかった。
でも、柔術が引き出してくれた。全エネルギーをほぼ無思考で放出することで、その先が見えた。今そこで感じている感覚を、素直に感じられるようになった。

人それぞれに感情と対峙するスタイルがある

大事にしたいなと思うことは、柔術の技術を上げたいとか、身体をつくりたいとか、そういうことだけじゃなくて、そこにある感情を「感じ切る」ということが、トレーニング中にできていること。

感じ直して、パワーに変えて、全力でぶつかる。
負けることに大して意味はない。ぶつかって、またトライして、たまに「今の良かったよ!」なんて言われて、ちょっとニヤつく。それでいい。

詰まるところ、柔術をすることで「わたしはもっと自分を好きになりたい」って感じられたことが、このなかなかハードな競技にドハマりした理由ではないかと思う。

わたしにはこの【エネルギー全放出スタイル】がとても合ってる。
それが例え柔術なんかの格闘技でなかったとしても、走ったり、HIITのエクササイズだったり、身体を動かすことできっと同じようなものを得られるんじゃないかな。

「座って瞑想」が苦手なアナタ、もしかしたらこういう方法もあるかもよ?
特にブラジリアン柔術は、Google社などでも社内の福利厚生の一部としてクラスがあるくらいなんだって!
全身のコアトレーニングにも効果的と言われている競技です。
テパサン全力でオススメします。


あなたが奥底の感情に対峙する方法は、どんな感じですか?

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