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じいちゃんの膵臓はいらない


今思えば奇妙なことだが、あの頃、参道をいつ歩いても人っ子一人いなかった。本祭りにもなぜか当たらなかった。どの年も、いつ行っても、出店は終わっていて閑散としていた。ある年の祭りの日、そこで黒猫に出逢った。足にまとわり付き歩くことがしばらくできないほどだった。家に帰ると祖父が膵臓がんで死んでいた。祖父はうちに扇風機をやるのに焦った顔で古い方を選び、小学生のわたしに「片親だと何かが欠けていることに気がつくだろう」と言った。はあ?確かにオマエにはなんか欠けてるな。ガキだから何もわかんねえと思って引っ掛けてくるんじゃねえぞ。その瞬間わたしのおじいちゃん子子供時代は終わった。真の私はお母さん子である。母への裏切りでもあるふざけた発言をしたこいつは祖父のフリをしたクソムシだ。船でもないのに家にはどでかい舵がふたつ飾ってある。極めて邪魔である。洪水が来たら助かるかな?そんなわけあるか。こんなクソ高そうなものを買っておいてなぜ小さな古い方の扇風機を娘にやろうとするのだ。三味線と民謡の先生で仏壇を作っていた。聞こえも外ヅラも良かった。でも家を借りるときの名義貸しには動揺して孫の私を突き飛ばした。確かに貴様には何かが欠けているようだ。ところで虚無的な葬式であった。何かどころではなかった。ほとんどだれも心から悲しんでいなかった。確かにオマエには何か欠けてたな。やたら万能感があるヤツも嫌いだけど、オマエのことも嫌いだぜ。






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