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真理について

小説家になろうなんて、大それた気もないので、唐突にフィクションという小説を書き始めるといきなり行き詰ってしまった。調べると、いろいろ書き方にもルールがあるとの事。その、ルールが今回のテーマである。

さて、なぜ小説を書き始めたのか、というと、物語の人物達を通じてこの世の「真理」に迫りたいからである。真理とは、究極のルール。まこと(真)のことわり(理)。

世界的には「真理」というと、宗教的な概念が入る事がほとんどであるが、よくよく宗教の経典などを見ると、みなまともな事が書いてあるので、なぜそこまで互いの事を理解しようとしないのか不思議だ。確かに、「前提条件」が根本的に違う為に相いれないのだと思うが、皆同じように「真理」に迫りたい、というのが共通認識ではないか。この場合の真理とは「なぜ我々は生きている」のか、という事である。親から生を授かり、次の世代に生を渡し、死んでいく事に対し、意味を見いだしたい、という単純な探求心である。宗教の役割とはそのために存在するように思う。

日本という国は世界的にも珍しい、宗教を極力排除した国だ。確かに、どこにいっても神社仏閣は存在し、八百万の神に対して畏敬の念を持つという共通意識も確かに存在している。ただ、そこには真理に対する答え、「なぜ生きているのか」があるようには感じない。学校でも教えず、家庭で話題になる事もなく(逆にタブー視されている)真理を求めない日本人は、あまりにも生きているという事に対して無頓着なのではないかと感じる。化学か何かが、いずれ発見してくれるのでしょ?とでも考えているようだ。

私は物語を通じて、真理に少しでも触れたいと思っている。フィクションではあるが、苦しみをもって書き連ねた中に、少なくとも自分の中の真理への答えが少しでも出て来るのではないかと期待している。

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