祈りと鉄槌
これから書くことは多分に宗教的概念、思想が含まれるが、自らの宗教との経験や感覚を永遠の尊敬と畏敬を持って記するフィクションである。
その1
「トンマーゾ!」5時間目の授業が終わり、重たい教科書をバックに詰めていると、誰かが歩いてくる気配がして、トムを呼んだ。振り向かなくても、それがアンナだと分かる。トムはそのまま帰り支度をやめずに、声をかけられた方をみると、笑顔でアンナが見ていた。
「この後時間ある? 数学でわからないところを教えて欲しいんだけど」と言われるのと同時ぐらいに「ごめん、今日はすぐ仕事なんだ」とトムが返すと、アンナの笑顔が失望に変わり「そう、わかったわ」と、さっきからはかなりトーンを落として言った。「ごめんね」とトムがもう一度言うと、「ううん大丈夫、また今度お願いね」というと精一杯アンナは微笑んだ。
最後の終業のベルが鳴ると、狭い高校の扉から一斉に生徒が吐き出されるのにまじってトムは学校の外に出た。多くの生徒が歩く広い通路を一人歩くのは苦手だったから、石畳の道路を渡り、狭い路地をはや足で歩いた。車の通らないような狭い道だったが、途中何度かバイクに追い立てられて道を譲った。夕方だというのに、サンタ・クローチェ聖堂から帰って来る多くの観光客とすれ違いながら、すっかり薄暗くなった人けのない聖堂の反対側にある自宅にたどり着いた。
4階建ての建物の正面には、落書きが書かれた元店舗のシャッターがあり、その横の小さい扉からトムはアパートに入った。すぐ正面には階段があり、左右には住宅のドアがある。一番上まで階段を上がって、右側の木製のドアの穴にポケットから出してきた鍵を差して、何度かガチャガチャやっていると、ようやくカチっと鳴り、扉を開けて中に入った。中ではマリアがちょうど出る支度をしており、上着を着ながら「今日は早かったのね、仕事は?」といった。毎度の事ながら、トムは自分の母親の厚化粧を見るのは好きではなかった。部屋も香水の匂いが充満しており、出来るだけその匂いを吸い込まないように「今日は木曜日だよ」といった。マリアは「夕飯はオーブンの中よ」といって、トムがさっき入ってきた扉から出ていくと、ハイヒールの甲高い音を響かせながら階段を下りていった。
濃厚なバラの香りの中で食欲を無くしたトムは、トマトソースとミンチ肉のパスタを少しだけ食べて、早々に自分の部屋に向かった。4階のアパートの最上階には屋根裏部屋があり、そこがトムの部屋だった。廊下の突き当りから急こう配の梯子のような階段を上って木枠の古びたドアを開けると、トムは教科書が詰まった重いバックをベッドの隣に置いてドアを閉め、自作のカギをかけた。それからベッドの足元にあるあかり取り用の窓のカーテンを閉めると、上からつるした裸電球のスイッチを点けた。狭い屋根裏はトムがやっと立てるほどの高さしかなく、基本的には部屋では座って過ごした。ベッドの反対側には引き出しのついたタンスがあり、タンスと壁に棒を渡してそこに上着を掛けた後、トムは窓の方に向かってひざを折ってしゃがんだ。
窓の下にはトムが自分で作った祭壇があった。手が機用なトムは木板から十字架を彫り、同じく木板の土台を組んでその上に置いて手製の祭壇を作っていた。この祭壇を作ったのは、15歳の時に起こったある事がきっかけだった。
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