畳の上で死ぬことを願うな!
御縁に感謝です。
関東に移住して22年。
この間、大きな病を患うことなく過ごすことができました。
それほど、健康に気を遣ったわけではないのですが、心の中に、“ある思い”があったことが、支えになっていました。
「誰も看病してくれない!」
身内のほとんどは関西にいます。
何かあっても、すぐに飛んできてもらえない距離です。
今、住んでいるところの近所には、親しい方が住んでいます。
いざとなれば、病ゆえの不自由を助けてくれる方もいるでしょう。
だけど、皆さまにもそれぞれの生活があるので、多くを望むことができません。
そんな現実を踏まえて、“気力”で病から身を護ってきました。
だけど、数年前に、インフルエンザに罹ったことで、この“気力”に水を差されました。
感染を恐れて、外出(買い物)に出かけられない。
備蓄の食糧には限りがある。
何よりも、起きて、調理をする元気が出ない。
この経験は、「いつまでも、気力だけでは乗り切れない」、つまり、「“自力”だけでは限界があり、無理をすると“自我力”になって悪循環になる」という気づきにつながりました。
そして、「いつまでも若いつもりでいても無理がある。自分もそれなりに歳をとってきた」という自覚につながりました。
不思議なもので、この“現実”と向き合い、“現実”を受け入れた途端、さまざまな“危機対策”の意識が働き始めました。
独居であるがゆえに、「孤独死」を恐れ、それを回避しなければいけないと思うようになりました。
近所とのコミュニケーションにも力を入れようと努めました。
そして、特定の人と晩年を共にしたいという願望も立てました。
だけど、大切なことに気づきました。
「将来のことを考えすぎて、あれこれと思い煩う・・・これは、“自己保身”というものではないか?」
明日、どうなるかということは、誰にも分かりません。
生命あるものはすべて、やがて最期を迎えます。
その瞬間に思いを向けることによって、“現在”をおろそかにしていないか?を点検しなくてはいけません。
“現在”に全力を尽くし、為すべきことを成し、愛すべき人を愛し、学ぶべきことを学び、省みるべきことを省み、進むべき道を進むことに集中するほうが重要なのです。
日々、身命を賭して生きよ!
畳の上で死ぬことを願うな!
この瞬間を生き切れ!
維新の時代の志士たちの心境を垣間見ました。
自己保身が、いかに弱々しいかということを実感しました。
単なる“犬死”を願うことではありません。
「日々、一瞬一瞬を生き切る」ということです。
ほんとうに生き切ったのであれば、天も放っておかないはずです。
肉体は亡びても、その生き切った証が亡びることはありません。
その証は、のちに続く人たちを励まし、鼓舞させ、新しい時代を開拓していくための善き導きとなります。
果てしなく大きな理想、大きな志ではありますが、この理想、この志を目指しながら生きることが、人間として生かされていることの意味であると思うのです。
Be positive!
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今回も、最後までお読みいただき、ありがとうございました。
皆さまの心に、キラッとしたものをお届けできれば幸いです。
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