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N研向け 不登校の考察②〜接点の少なさが与える影響

筆者が実際に相談を受けたケースをいくつか紹介したいと思う。
※個人情報に配慮し、学年と性別以外の情報は極力特定されないよう注意したつもりである。個別の事例としてではなく、代表的な事例として汎化された事例と捉えてほしい。

①中3女子。中2までは人間関係の頂点側だったと本人は語る。修学旅行後にそれまで仲の良かった女子に「臭い」「キモイ」等の悪口や、トイレに閉じ込められる等のいじめを受ける立場に。これまで不登校や別室登校の子を下に見る立場だったため、そこを利用することは周りにどう見られるかをよく分かっていると言い、力関係が逆転した学校自体に否定的。母にいじめられていることを知られた事をきっかけに登校をやめ不登校に。

②小5女子。5年生進級時のクラス替えで、仲の良い子と離れた。今までの友だちは大人しいタイプの子だったが、新しいクラスでは異なるタイプの子と仲良くなった。学年でも人気者の子でクラス外にも友人が多かったが、本人はその輪には加われないこともあったよう。その子の誘いで運動会の応援団に参加し本番まで務め上げたが、本人は無理をしていたよう。運動会後から欠席がちになり不登校に。

③小6男子。離婚母子家庭で、本人は他者の顔色を窺う傾向、自己評価の低さや対人不安を抱える。小5の頃は担任の積極的な関わりで登校できたが、小6で担任が変わり教室・別室のどちらにも居場所のなさを感じるようになり、不登校状態になった。

これらを比較すると、不登校の直接の原因は
①はいじめが原因。
②は友人関係や頑張り過ぎが原因。
③は家庭環境や本人の不安の高さが原因。
と、それぞれ整理できるだろうか?

一見すると原因はそれぞれ異なるように見える。
しかし、筆者にはこのような原因を生み出す環境には共通点があるのではないかと考える。
いずれのケースでも「新たな人間関係を作ること」に躓いていると捉えられないだろうか。
その背景には学級という閉鎖的な環境では、クラス内の人間関係が固定化しやすいことが考えられる。
このような固定化が「スクールカースト」(森口朗『いじめの構造』新潮新書、2007)を生み出す。
森口氏は、スクールカーストについて
▶スクールカーストは、人気やモテるか否かといった点でステイタスが決定される。
▶一般的に上位層10%、中位層60%、下位層30%で構成される。
と考察している。

先述の①〜③の事例もスクールカーストという視点で捉え直すと、また違った見え方をしてくる。

①のケースは、元々対人面に苦手さを感じていた本人がカーストの上位に留まり続けるために他人を“いじって”、相対的に自分の評価を上げる方法でコミュニケーションしていた。ある日、それが呆気なく覆されてしまう。カーストの頂点から底辺への転落。
スクールカーストの評価は学力やスポーツの成績などの絶対評価ではなく、いかに空気を読むか、笑いを取れるか等、集団力動的な評価が重視される。そのため、このような逆転現象が時に起こり得る。

②のケースでは、スクールカーストの上位層に属する子と友だちになった事で、これまで経験したことのないコミュニケーションスキルを求められた。応援団の成功体験というメリットもあったと思われるが、それ以上に上位層のコミュニケーションに疲れてしまったと推察。上位層とのコミュニケーションから外れることは、カーストの転落を意味し、教室や学校での居場所を失う感覚が強いことが再登校を躊躇わせているのかもしれない。

③のケースでは、もともとカーストでは(コミュニケーションの力では)中位〜下位のタイプだと考えられる。5年生では担任が積極的に働きかけることで登校につながっていたが、6年生になり働きかけが減少したことで、学校内に居場所を見つけられなくなったと推察。カースト下位に属するタイプにとっては、積極的な働きかけがなければ所属感を維持することが困難と言える。

こう考えるとスクールカーストが根底にあるという捉えも、あながち間違っていないのではないか。
では、そのカースト(固定化した人間関係)に対してどのような手立てが考えられるか?
斎藤環、内田良の著書(『いじめ加害者にどう対応するかー処罰と被害者優先のケア』岩波書店、2022)にそのヒントを求めたい。
斉藤氏は、閉じた教室空間=集団の中で他者との接点が少ない環境で、カースト化しやすい。解決は「カーストの解体」一択と主張する。そのためには、接点を持つメンバーの固定化を防ぐことを目的とした、意図的な仕組みが必要と述べ、『カーストの文化は、集団の中での接点の少なさに支えられて成立している面がある』ため、『グループが固定化することを防ぎ、どのメンバーも「あの人とは全く絡んでいない」という状況を最小化していくことを意図』し接点をたくさん作る事を勧めている。

授業のICT化により、資料の配布も課題の提出もボタンひとつ行えるようになった。これはこれで便利な反面、プリントの配布や課題の回収という児童生徒の接点が失われてしまった。このような接点の回避は、新型コロナウイルスの感染対策(三密の回避)としては賞賛されることだった。
しかし、不登校の未然防止、カーストを作らない学級運営の視点で語るならば、以前であれば意識せずとも存在した接点の機会が、意図しなければ作りだせなくなっていると気づく必要がある。
人との欠点を極力排除しようと努めたコロナ禍の影響を今一度整理し、捉え直す段階にあるのではないだろうか。

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