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卒業旅行

 彼女と初めての海外旅行は、台湾だった。

 付き合って2年記念の旅行でもあり、大学の卒業旅行でもあり、私たちの関係が続かないということが決定的になった旅行だった。

 4年前、私たちは同じ大学の同じ学部に入り、中国語を履修していた。最初の授業でクラス全員と連絡先を交換した時から、お互いに意識していたと思う。私は彼女の連絡先を知りたくて、メールグループのリーダーになった。彼女のメールアドレスが書かれたルーズリーフの切れ端を、私はずっと財布に入れて持ち歩いていた。

 私は、去年の10月には就職活動を諦めて、仙台の実家に帰り、4月から親戚の会社でアルバイトをすることになっていた。彼女は就職を諦めきれず、滑り止めに受けた大学院に行く予定だ。

 就職活動がうまくいかないと、お互い慰めている間は、関係は良好だった。「世界を変えられたらいい」と何度も夢を語りながら推敲したエントリーシートの返事は、事務的で冷たい電子メールだった。面接の練習で、彼女は何度も「世界を変えられなくてもいいから、目の前にいる人を幸せにしたい」と大スピーチをして私を感動させたが、そんな彼女を面接官は一瞥もしなかったそうだ。

 最初の3社は、不採用の通知をもらう度にふたりで朝まで飲んだ。10社を越えると、お互いに報告することもなくなった。その後は、時々会っても、1年前の思い出話を無理やりしたり、共通の友人の就職活動の状況を共有して、早めに家に帰るのだった。

 仙台に帰ると決めた時、私は彼女には何も相談しなかった。彼女が大学院を受験していたことも、まったく知らなかったのだ。私たちは限界だった。

 やっとのことでたどり着いた珈琲店で、彼女は嬉しそうに豆を選んだ。珈琲以外のメニューはない。私はカフェオレにたくさんの砂糖を入れて、くるくるとかき混ぜる。彼女は赤茶色の珈琲を大事そうに飲んだ。

 私は台湾茶が飲みたかった。この2年間、そんなことばかり考えている。彼女は珈琲が好きだが、私はいつもお茶を飲む。私は猫が好きだが、彼女は犬が好きだ。彼女は洋画を字幕で見るが、私は吹き替えが好きだった。私が魚を食べたい時に、彼女は焼肉を食べたがった。私が日本酒を飲んでいる時、彼女はワインを頼む。私が運動を始めると、彼女はケーキ作りにはまった。彼女は就職のために中国語を選択し、私が好きな漢詩には全く興味がなかった。もくもくと私の胸の中に悲しみが広がり、いつものように喧嘩が始まるのだ。

「一流企業に入ることなんて、今更、何の保障でもないね。」

「そんなことないよ。やっぱり大きい会社は、福利厚生とか充実してるでしょう。」

「そういうことじゃないだろ。将来のことだよ。」

「そりゃあ、もう定年退職とかはしないと思うけどさ。」

「会社に守ってもらう時代は終わったってこと。」

「どういうこと? 親戚の会社に行くのはいけないの?」

「やりたいことじゃないだろ。」

「そんなこと言ってる場合じゃないんだよ。」

「そんな適当に稼いだお金が、欲しいのか?」

「適当に、先延ばしみたいなことをしてるのはお互い様だよ」

「環境が違うだろ。」

「たまたま親戚の会社に働き口があるのだって、目的も曖昧のまま大学院の学費払ってくれる親がいるのだって、ふたりとも恵まれてると思わない?」

 店員の視線に気づいても、私は、口から出る言葉を止められなかった。

「あのさ、ずっと思ってたんだけど、私たちって、実はあんまり共有点ないのかもね。」

「中国語を履修した女、ってだけだ。」

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