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ちょっとした過労死

私は、水面を見ていた。
水の表面のでこぼこが、ふよふよと左右に動いて、消えて、また現れる様子を見ていた。
5年前の私も、今と同じ川の方向を向いていたかもしれないが、
その時は、魚や鴨を探していたり、
自分の中に確かにある悲しみを思い出していたりしたような気がする。
今、私は、水を見ている。

私は、紙面を見ていた。
繊維がインクを吸って黒くなっているところや、繰り返される透かし模様を見ていた。
5年前の私も、今と同じ紙を持っていたかもしれないが、
その時は、紙に書いている日付が何年前なのか計算していしたり、
穏やかな時間を懸命に楽しもうとしていたりしたような気がする。
今、私は、紙を見ている。

私は、樹皮を見ていた。
道を塞ぐように横たわる太い松の、タイルのような皮を見ていた。
5年前の私も、今と同じ松の木を見下ろしていたかもしれないが、
その時は、どうやってこの障害物を乗り越えようか考えていたり、
心の底にある怒りを忘れようと頑張っていたりしたような気がする。
今、私は、木を見ている。

私は、岩肌を見ていた。
足元にある花崗岩の斑模様と、小さい三角が並ぶざらざらした表面を見ていた。
5年前の私も、今と同じ岩に登っていたかもしれないが、
その時は、他の岩と大きさを比べていたり、
優越感がもたらす恥と陶酔に、うまく対処しようとしたりしていたような気がする。
今、私は、岩肌を見ている。

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