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着物の新ジャンルになりつつあるポリエステル素材に私が馴染めない理由。

浅草に観光客が戻ってきた。外国人観光客と共に目を惹くのが、和服姿の女子たち。浅草駅近くのアーケード街には、レンタル着物の店が五メートルおきにある。

店内を覗くと、おずおずと説明を受けているのは、外国人よりも若いカップルだ。グループで訪れる女子たちはネット上で下見してから、来ているのだろう。女の子たちは実に自由で、歩道の柵に腰掛けたりして、のびのびと行動している。洗えるポリエステル独特の自由さがある。

私はと言えば、ポリエステルの着物が買えない。何度か試して、ダメだった。

群ようこさんは二十年前のエッセイ『きものが欲しい』で、ポリエステルの着物について触れている。若い世代は柄が大事で、たくさんの色柄から、個性的な一着を選べるポリ着物を好んで着ている。

確かに、同じ花柄でも、ポリエステルは色の表現が正絹とは違う。色展開も多いし、ガイコツなど、着物らしくない模様が登場するのも、楽しい。

正絹の着物は陶器に近くて、一点モノの集まりだ。陶芸と違って分業制なのだから、繭から糸を紡いで、糸を染めて、織って、また、染めてと、どこかの工程がひとつ欠けたら、この世に存在しない。自然と売値も高くなって、店頭に並ぶ在庫の数にも直結する。だから、呉服屋さんが「うむを言わさず」になるのかしら、とも思う。

例えば、手描きの友禅染は「糸目糊(いとめのり)」で模様に輪郭を縁取り、その後、色を挿す。土手を作った糊の跡で、模様が白く縁取られている。特に「真糊(まのり)」というもち米で作られた糊は生地に滲んで、縁取りが均一にならならずに水面の光のように揺れているのが、美しい。

ポリエステルだと、くっきりしているせいか、私には模様が宙に浮かんで見える。無地場の多い「飛び柄の小紋」などはその違いが顕著だ。

ああ、そうか。私は着物が好きで、浅草に集まってくる女の子は、自分の着姿が好きなのだ。

女の子たちから「持ってるだけで、いいの?」「着姿はどうでもいいの?」と追求されないように、私たち、趣味の着物好きさんは頑張らねばならない。そして、浅草に集まる女子たちがこれからの二十年、どんな着物ライフを歩むのか、未来を楽しみに見ていようと思う。

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