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「人の気持ちがわかりにくい」のニュアンスについて

WAIS検査を受けたことがある方なら、「人の気持ちがわかりにくい」という表現を知っているかもしれません。

自分は10年前に受けたWAIS-IIIでかっこ書きで人の気持ちがわかりにくいと書いてあったのですが、頭に引っかかってしまったのでスタッフに話したら「ニュアンスの問題だと思います」とのことで、後日、臨床心理士から補足説明をしてもらいました。「すみません、僕の説明が良くなかったです。全体像が分かりにくい人は人の気持ちがわかりにくい傾向があるんですが、○○さんを見ているとそうは見えないのでかっこ書きにしたんです。本当はかっこをもっと濃くしたいくらいなんですよ」という説明でしたが、かっこを濃くしても意味合いは変わらないと思います。

全体像が分かりにくい、こだわりが強いという特性については、カウンセラーはトラウマや対人恐怖が根底にあるんじゃないですかと言っていましたが、2年前に受けたWAIS-IVでは、「人の気持ちがわからないということを話していただきました」とレポートに書いてあり、わけがわからなくなりました。臨床心理士が代わったせいもあるかも知れませんが、これでは説明が悪化しています。それに、少なくとも自分からそんなことを言っていないので、納得がいきません。

自分では、「相手の意図や気持ちはわかるが、共感性が低いところはある」と思っています。例えば、大昔に亡くなってしまったハムスターの生死を確かめるために動物病院に行って、遺体を受付に置いたら、職員がドン引きして、「残念ですが、もう亡くなっていると思います」と言われたので、「そうですか、生きているか死んでいるかを知りたかったんです」と言って帰りました。これは、「相手がドン引きしていることはわかるが、共感性が低い」ということにはなります。でも、誰しも共感性が低いところはあるはずで、そういうものも人の気持ちだとすれば、少なくとも「わからない」ことにはならないと思います。

それに、共感性が必ずしも低くはないとも思っています。友人との交友関係が長く続いているのも、共感性が低くはないからだと思います。心の形はいびつなもので、差し込む鍵を変えることでアクセスするものだと思いますが、あまり踏み込まれると嫌だろうなと思い、踏み込まないようにもしています。自分自身も「わかる」と言われるのは心の中に土足で踏み込まれる感じがするので嫌いです。これでも、自分は「人の気持ちがわかりにくい」でしょうか。

子供は大人の気持ちがわかりにくいと思いますし、大人は子供の気持ちがわかりにくいと思います。どちらも「人」なので、子供も大人も「人の気持ちがわかりにくい」ことになります。異性の気持ちがわかりにくい場合は、それも「人の気持ちがわかりにくい」ことになります。

自分は外面は薄っぺらだと言われることはありますが、内面はやっかいな性格をしていると思っており、心が何重構造にもなっていて、自分でもよくわからないところがあり、会ってすぐの人にはわかってもらえないことが多いです。長い付き合いの人でも、自分の心の中はわかってないことがあります。自分も「人」なわけですから、私の気持ちがわかりにくい人がいるのであれば、それは「人の気持ちがわかりにくい」ことになると思います。

じゃあ、人の心の中なんてわからないんだから、皆が人の気持ちがわかりにくいのかというと、そういうことではないとも思います。YouTubeのとある動画では、相手に応じて対応を変えられるのが人の気持ちがわかるということだと言っていました。確かに、相手によって顔を変えられる人はいるなと思います。でも、そういう人でも私の気持ちはわからないことは多々あり、そうなると、「人の気持ちがわかる」のハードルが高すぎることになり、「定型発達者は人の気持ちがわかる」という説明には矛盾があるように感じます。

つまるところ、「人の気持ちがわかりにくい」とか「人の気持ちがわからない」という言葉を、WAIS検査のフィードバックという大事な局面で使わないでほしいなと思います。それが気になってしまって思い悩んでしまったり、本来人の気持ちがわかる人が「自分は人の気持ちがわからなかったんだ」と思ってしまうのでは本末転倒です。これについては今後変わっていくことを切に希望します。

以上、最後までお読みいただき、ありがとうございました。

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