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差を取る、悟り

お釈迦様は、もともとは王国の王子様で、
恵まれた暮らしをしており修行に出る前には妻と子供もおられたみたいです。

恵まれた暮らしと妻と子を捨ててまで、
修行に出られる訳ですが、修行中に王国が別の国から侵略を受けて滅んでしまい、
家族はお釈迦様の弟子になられたとか。

全てを捨ててまで修行に出られた訳なので、
非常に思うところがあったと思うのですが、
修行に出る前から諸行無常について、
勘づいておられたのかもしれません。

悟りという言葉は、
差を取るとも言われるようです。

恵まれた暮らししか経験せず、
それが当たり前になっていれば、
何が辛いことかを理解する事はできません。

逆に苦難や苦労しか経験できなければ、
何が恵まれている事かは分からない。

両方とも経験する事で、
何が恵まれている事かという事と
人の辛さや痛みが理解できると思います。

本質を腑に落とそうとすれば、
両方ともに経験する事が必要だとすれば、
経験の内容に優劣はなく、
両方の経験があってこそ成り立つ事なので、
経験や物事に優劣や正解や不正解はない。

つまり、差が無い、となり、
この事に気づく事を、差を取ることから
気づける悟りとされたと言われています。

どんな物事にも、
差が無い事にきづける為には、
実践による経験が必要。

経験を積む為に、
どれくらいの実践をすれば良いのかは、

私、個人の経験上では、

【1万時間、1万人、100万遍の法則】

があると考えています。

スポーツでもビジネスでも何でも、
あるジャンルを腑に落とそうとすれば、
その事に、
1万時間取り組むか、
1万人に実践するか、
100万遍、100万回繰り返すか、
そのいづれかを経験する事により、
本質が見えてくるように思っています。

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