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文章を書くことにした理由

なんでnoteを書いているの、と、度々聞かれる。きっかけは、最初の日に書いた通りで、佐々木俊尚さんの音声メディア、Voicy。

https://voicy.jp/embed/channel/2185/216956

今日で74日目の投稿になる。途中でサボった日が何日かあるから、連続ではないけれど。なぜ続けることに「文章を書くこと」を選んだかというと、大きく3つある。

●自分の気持ちや意見を確認したい
●それを記録したい
●人に伝わる表現を身に付けたい

昨年は、コロナに、オリンピックに、世間が揺れに揺れていた。普段一人で仕事をしている私の様な人間には、これまで以上に人と他愛のない話をする機会が無くなってしまった。そういった中で1人篭って目にする、ニュースサイトのコメント欄、Twitter、その他SNSの投稿は、気づかないうちに物事の捉え方の偏りと、心の中の澱みを生んでいたように思う。

大きな組織や著名人への、叩き潰してしまう程の非難の仕方や、極端な意見、炎上キャンペーンの様な活動。それを、純粋に仕事や作品で尊敬していた一部の人たちまで率先して行う様を見た時に、ものすごく不安になった。

『地位を利用し、利益を独占し、人々の富を収奪して、私利私欲のために権力をふるう、どうしようもない奴等だ、許せない。』そういった気持ちからだと思う。その気持ちがわかる。自分も同じ様になりうるから、不安になったのだ。

悪いことを悪い、と声をあげること。泣き寝入りしないこと。不正を見逃さないこと。すごく大事なことだと思う。だけど、本当にその時、自分にとって怒るべき対象、タイミングなんだろうか。勝手に流れてくるネットニュースやSNSにいとも簡単に感情を持っていかれる経験を幾度もし、反省をした。

一番最初に、おやっと思ったのは2020年5月頃に加熱した「#検察庁法改正案に抗議します」の投稿だった。まず驚いたのは「抗議するほど検察庁法について詳しい人がこんなにいること」についてだった。

自分の無知に焦った。全然怒るポイントがわからない。自分よりも若い人、いつもは政治に興味がなさそうな人、皆んな怒ってる…。なんとなくトレンドについていこうかと関連記事を読み漁ったけれど、なんとも無駄な時間を過ごした気分になった。

よくわからない対象への「自分の怒り」に燃料を加えるために、まったく興味のなかった検察庁法について知って何になる?

その後も、人種差別、ジェンダー、雇用、格差、様々な社会問題のトレンドが巻き起こる。それをきっかけに興味をもつこと、実は自分が被害を受けたこと、加害していたことを知るなど、良い面もたくさんあると思う。無関心でいて良いとは思わない。

だけど、トレンドにのって瞬間的に知る情報にどれほど信憑性があるのか。それは自分のリテラシーの低さゆえもある。なので、本を読まなければと思った。物事はとても複雑で、どんな問題も背景に何十年、何百年の時間と、たくさんの国や人たちの連なりがある。知れば知るほど、もう全然わかんないな、という気持ちになる。その、わかんないな、をそのまま残そうとしている。

今、自分の気持ちに留めているのは、この3つ。

●良い時間は味わうこと
●半径2mの範囲から役に立つことをすること
●分からないものは、分からないままにしておく

たくさんの人は、すでにできている事かもしれない。
私は、うっかりすると遠くの出来事に感情を持って行かれ、何もできないのに思案を続け、分かりやすいAとBで説明をつけてしまう。もう、そんな風でいたくないなあ。

家族と友人との時間を喜ぶ。目の前のお客さんの役に立つ。知ることで、さらに分からなくなることを受け入れる。それが、いつか遠くの世界や問題とつながっているかもしれない。そんな風になりたい。だから、noteを書いています。


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