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他人への過剰なアンテナをなくそう

 他人の目を気にして、他人に好かれるように、魅力的に見えるように、1人でも友達が増えるように生きてきた私。そんな私が、生きたい自分を見つけ、自分の人生を自分らしく、生きたいように生きれるようになってきた話です。なったわけではありません。なってきた、という話です。

他人と違うことが嫌だった過去

 私はさまざま、人と違うところがあった。ドラゴンボールやナルト、ワンピースなど有名な漫画を読んだことはないし、ジブリ作品だってそれほど知らない。メジャーなスポーツが上手なわけでもないし、土日の朝食はナイフとフォークだった。特に小中学校では自分に合う友達が少なく、嫌われないために自分をよく取り繕っていた。相手の表情をみながら、相手が好んでいるか嫌っているかを判断し、うまく調整するのである。自分と違う自分が形成されていく中で「自分ってなんだろうな」と思っていた。

 いわゆるクラスの中心にいそうな人に強く憧れた。スポーツができる人や少し悪い奴ら(筆者の小中学校は公立でそこまで治安がよくなかった)、なぜか友達がたくさんいる人やモテる人になりたいと思ったし、そういう人に嫌われたくないと思って頑張った。また、そういう人たちと自分が友達であることを通し、自分の地位をあげたいという欲求もあったのだろう。結果的に仲良くなれず、中学時代で友達になれたのは片手で数えるくらいだった。

自分の人生を生きている人たちとの出会い

 インスタがほぼ自分の写真の人と友達になった。当時の私にとって、インスタの写真のほとんどに自分が写っているなど信じられないことだった。承認欲求が激しいと思われそうだし、自分のことをかっこいいと思っている人は嫌われると思ったからである。嫌われそうじゃない?と聞いてみた。友達はこう言った。

自分がしたいことをして何が悪いんだ。迷惑をかけているわけではないのだし、どう生きようと自由だ。それをぐちぐち言ってる奴など正直どうでもいいし関わる気もない。自分の生き方を理解してくれる人と友達になれば良いし、そういう人は自然と現れる。1000人の薄っぺらい友達を切り捨ててもいい。5人の親友がいれば十分だ。

外部への過剰なアンテナをなくす

 自分が生きたい人生は何だろう。自分の体力を本当に注がなければいけない場所はどこだろう。こんなことを考えているうちに、外部への過剰なアンテナに必要性を感じなくなっていた。もちろん自分勝手に生きたいわけではないし、多くの人々と協働する社会で生きているのだからアンテナは必要である。しかし、自分のライフスタイルや態度にまで常に刺激を与え続けるような「過剰な」アンテナはいらない。必要十分なアンテナを張り、シンプルでわかりやすく、自分の生きたいように生きる。そんなことが最近になってようやく、できるようになってきた。


 常に他人の目を意識して生きてきた自分にとって、そのような多くの他人へ張ったアンテナを閉じ、自分が生きたいように生きるのは並大抵に簡単なことではない。だが、気づけてよかったと思う。無理に外側を気にしなくて良くなりストレスも減ったようだ。自分らしく生きながら、ここにしかいない「自分」を大切にしたいと思う。

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