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元公務員、福島で人生に彷徨い、やっと自分のやりたいことを見つける

福島・南会津に来てからというもの、私の人生設計が狂い始めました。
自分の人生にこんなことが起こるとは思っていなかったというのが正直な所。
しかし、それと同時に、こんな境遇に置かれている人たちがいるんだということを肌身を持って知ることになりました。
そして、それが今の活動に繋がることになろうとは、、、人生は何が起こるか分かりませんね。


転勤族妻、南会津で路頭に迷う

まず、思っていたような仕事がありませんでした。
私が「第二の人生を福島で!」と思っていたような仕事は南会津にはありませんでした。(今は違うはずです)
福島に来る前に登録した転職サイトからスカウトが来たのも郡山市の企業でした。
面白そう!と思ったのですが、南会津から郡山は車で峠越えをして1時間以上。ペーパードライバーの私には、豪雪地帯の南会津からの通勤は現実的ではなく泣く泣く辞退しました。
さらには「3年経ったらまた転勤」と夫から告げられ、もし仕事を見つけても、夫の転勤と同時にまた退職、転職活動を繰り返さなければならないという事実を突きつけられました。
家でできる仕事を起業すればいいのかとも思いましたが、「公務員は辞めたらただの人」。私に起業できるほどのスキルは何もありませんでした。

資格を取ろう、新しい知識を得るにも、講座は東京や福島でも郡山ぐらいでしか開校してません。運転もおぼつかない私にはなかなかハードでした。今みたいになんでもオンラインでできる時代でもなかったので・・・

それまで仕事はこちらが選び、掴み取りに行くものでした。
でも、福島に来て、転勤族の妻になり、自分の思いだけでは動けない、仕事を選べない立場になってしまったのです。

この世の中にこんな立場におかれている女性がいるんだ

世の中は「女性活躍」だ「一億総活躍」と騒いでいました。
「私も活躍したくて福島に来たのに・・・」
霞が関にいたころは、こんな女性たちがいることを全く知りませんでした。
結婚する人によって、住む場所によってこんなに人生が変わってしまうんだと。
「でも、私みたいな境遇に置かれている人ってほかにもいるよね・・・みんなどうしてるの??」という素朴な疑問が湧いてきました。

衝撃の一言により、とにかくもがき始めた

その頃、県職員用の公舎に住んでいたのですが、おそらく同じ境遇に置かれている奥様と公舎入口の踊り場でばったり遭遇。
その方は生協の届いたものを仕分けしていました。
「藤本さんも生協やりませんか?」と話しかけられたのです。
聞けばそのアパートの他の方々と共同購入しているそう。共同購入すると配送料が無料になるそうです。
私は「買い物に行くことぐらいしか今の自分に役割がないのに、生協したら買い物すら行く用事がなくなってしまう・・・」と思い、お断りしました。そしたら、忘れもしない衝撃の一言が帰って来たんです。

「生協のチラシ読んでるだけで暇潰せますよ~~」

!!!!!!!!!!!!!!
この人たちは生協のチラシを読んで時間をつぶしているのか!?
これが転勤族妻の実態なのか!?!?!?

危機感と言いますか、恐怖感と言いますか、、それに似た感情を抱き、
「やばい!一刻も早くなにかしないと!!!」
と焦り始めました。

そこで私が始めたのは、
①もうなんでもいいから仕事する!職種とか給料とかもうどうでもいい。とにかくこの公舎にいる時間を減らしたい。
②ネットで南会津のことを調べまくる。なにか面白い場所や人はいないか。
ということ。
もうそのころは必死でした。

転勤族妻、南会津で動き出す

最終的に、どうしたかといいますと
①スキー場の期間限定のアルバイトを始めました。新聞にアルバイト募集の折り込みチラシが入っていて送迎バス付!ということでこれなら運転できない私も通えるぞと思い申込。
②南会津で古民家をリノベし、茨城と二地域居住しているご夫婦のブログを見つけ、なんとも素敵に暮らしているそのご夫婦に会いたい一心で、そのご夫婦が出店している茨城のイベントに向かいました。

まず、スキー場のアルバイトは、本当に気分転換になりました。
地域のおばちゃんたちもたくさん食堂などで働いていて地域の方々との交流が増えました。
お友達ができる、というレベルにはなりませんでしたけどね。

そしてそして、私にとって本当に良かったのは、古民家をリノベしたご夫婦との出会いでした。
茨城のイベントでそのご夫婦に「南会津から来ました」と自己紹介すると、すごく喜んでくださって、「南会津のお家に遊びにおいでよ!」と連絡先を交換。その後、本当にその古民家にお伺いすることになりました。
この古民家は本当に本当にセンス良く、素敵なものに囲まれ、薪ストーブに囲炉裏、大きな窓からは南会津の大自然が風景画のように。
私が住んでいた公務員官舎もかなりの年代物でしたが、全く別物。
同じ土地に住みながら、こんなにQOLが違う生活をしている人がいることに驚きを隠せませんでした。

さらには、その古民家には、私の同じぐらいの年代の若い人たちも出入りしていたのです。
トマト農家さん、酒蔵で働く方、旅館の若女将、ワカサギ釣りが得意な方、建具屋さん・・・
みんな南会津が大好きで、南会津で楽しく働いている人たちでした。
南会津にはこんな人たちがいたんだ。
私には見えていなかった南会津をその方々からたくさん教えてもらいました。公務員官舎にずっといたら、分からないことばかり。インターネットでは検索できないリアルな情報。
生協のカタログを読んで時間をつぶしていては出会えない人たちと聞けないお話。

その頃から南会津での私の生活は一変。
「私はとっても素敵な地に来た」
と思えるようになりました。
仕事からではなく、生活そのものから充実感を得られるようになりました。

動いた結果、自分のやりたいことが見つかった

こういう人たちとの出会いが大切だ。移住して地域に馴染むために大切なのは、時間じゃなくて、キッカケなんだ

自分がマイノリティの立場に置かれ、身をもってその苦悩を経験したこと、そこからもがいて動いて得られたこと。
それが今の私の活動であり仕事の原点です。

私は、結婚やパートナーの転勤などで新しい地に転入した女性を対象にしたサポート活動をはじめました。

なぜなら、誰もそこに焦点を当ててなかったから。

世間では移住促進、地方創生、女性活躍が声高々と謳われていましたが、すでに「地方」に「移住」してきている「女性」たちがいて、地域に馴染めず人との出会いもなく苦しんでいる人がたくさんいたから。

私も自分がその立場にならなかったら、そんな人たちがいることも知らなかったでしょう。

「こういった女性たちをサポートする活動をやりたい!これは世の中に必要だ!」

自己啓発では見つからなかったやりたいことが、ジブンゴトになって初めて見つかったのでした。




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