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【小説】一ヶ月監禁生活2

学生時代書いた話のリメイク、2話目です。
物騒なタイトルですが、R-18要素はございません。
前回はこちらから。
今回は6000字くらいです。
いつもの注意書きも、念のため。


この物語はフィクションです。
実在の人物・団体・事件とは一切関係ありません。


「はい、これ」
状況が理解できず茫然としたままの桐華に微笑むと、タカフミは目の前のテーブルに一枚の紙を置いた。
視線を落とす。そこには『誓約書』を大きく手描きの字で書かれていた。

誓約書

私は以下の事項を厳守することを誓います。

一、 被監禁者である秋月桐華に害をなす行為をしないこと。
二、 被監禁者である秋月桐華が嫌がる行為をしないこと。
三、 特に提案がなければ、基本的な家事全般を請け負うこと。
四、 被監禁者である秋月桐華が心身共に健やかに生活を送れるように、最大限の努力をすること。

平成二十四年 七月十九日
棗隆文

丁寧に綴られた名前の後に、赤々とした印鑑が押されていた。わけがわからない。
混乱した頭で大して長くもないその文章を三回くらい読み返す。
窓から差し込む午前の日差しに透かしてみたり、裏返して他の紙が重なっていないか念入りに確かめてみたりしたものの、何もない。
誓約書として文章が書かれた、ただの一枚の紙だった。
「タカフミ、なにこれ」
「誓約書。これからの監禁生活で、俺が桐華に約束することを書いた。絶対守るから」
桐華を見つめてタカフミは答えた。その声には強い決意が込められている。桐華しか映さないその瞳に、心臓がどきりと跳ね上がった。
「ちがう、いや、違くないのかもしれないけど。そうじゃなくて。監禁って何なの? まずはそこからでしょ」
動揺を誤魔化すために必死でまくしたてる。実際あふれ出す疑問は大量にあった。というか疑問しかなかった。
「俺は桐華をこの部屋に閉じ込めておきたい。だから今日ここに連れてきて鍵もかけた。そして桐華をここから逃がす気はない。桐華は監禁されたいなんて気持ちはないだろ? つまり俺は桐華の気持ちを無視してここに閉じ込めてる。だから監禁。この答えでオッケイ?」
ゆっくりとした言葉で一気に話し終えると、タカフミは首を傾げた。思っていたより丁寧な説明に、思わず納得しかけた頭を桐華は左右に振る。
「そっか……じゃない!タカフミは今、私の気持ちを無視してって言ったけど、この紙には私の嫌がることはしないって書いてある。この紙の約束があれば普通に出られるってことじゃない、かな? そしたら監禁でもなんでもない、よね?」
真っ当な疑問を、矛盾点をぶつけているはずだった。それなのにタカフミの視線は揺るがない。妙に不安になって語尾がたどたどしくなってしまう。
「そう。俺に留める手段はない。でも俺は桐華にここから出て行ってほしくないし、桐華を傷つけたくもない。この気持ちは変えられないし、変えたくない」
ひとつひとつ噛み締めながらタカフミは言った。相変わらず言葉の端々やまなざしに強い意志を感じる。
「……どうして、こんなことするの」
零れ落ちた言葉は、非難ではなかった。純粋なタカフミに対する疑問。
タカフミは視線を急に和らげた。困ったように眉尻を下げて微笑む。タカフミは時折この表情を見せる。幼い頃からの仲だが、表情の中に籠った感情はまったくわからない。
「桐華、帰るの?」
タカフミは桐華の疑問に答えなかった。
「ひとりの家に、帰るの?」
優しく重ねられた言葉に、当たり前だと返そうとした口が開いたまま止まった。

帰るのか? 当たり前だ。私の家は此処じゃない。頭の中で復唱する。しかしそれを遮ってタカフミの言葉が反響した。
『ひとりの家』、ひとりの家。そうだ、当たり前だ。家に帰ればひとりだ。でも今までだってそうしてきたし、ひとりの家を選んだのは私だ。だから当たり前に帰る。
桐華は自分の住む部屋を思い浮かべた。暗くて、広くて、静かで、真夏でも冷たくて、ひとりぼっちの部屋。
今まで当たり前だと受け入れていたその部屋が急に恐ろしくなる。記憶の中の玄関が大きく開かれた怪物の口のように思えて、桐華は身震いした。
どうして、なんで、わたしは――――?
「かえれ、ない」
理由もわからずに声が、身体が震えた。タカフミの手が伸びてきて、思わず身構える。しかしその手は優しく桐華の頭を撫ぜた。
「帰れないならさ、俺に監禁されてなよ」
悲しみの色が滲むその笑顔。桐華は言葉を返すことができず、口を閉じた。

結局桐華は帰ることができなかった。その理由もわからないままで、タカフミが桐華に何か問うことはなかったし、答えをくれることもなかった。
ただ、帰る気を失った桐華に先ほど見せた誓約書の下方に引かれていた線を指し示した。ここに確認のサインと印鑑をくれ。言われるままに名前を書いて、印鑑を押す。
タカフミはひどく嬉しそうに誓約書を見つめていた。

ただ居候をするのは忍びないから、と自分が料理を作ることを提案して台所に向かおうとした桐華をタカフミは呼び止めた。
「これ、つけて」
タカフミが差し出したのは手のひらほどの大きさの銀色の輪――――手錠、その片方だけだった。
「……なにこれ」
「監禁してる証。あ、もう半分は俺が持ってるから大丈夫」
小さな銀色の鍵で手錠を開きながら、どこか幸せそうに口元を緩めた。意味がわからない。何が大丈夫なのかもわからない。けれど心に湧き上がったのは、不思議な安心感だった。
桐華は促されるままに左腕を差し出した。
かちゃり、と手錠が閉まる音で、名ばかりの奇妙な監禁生活は始まった。

七月二十六日(土)
桐華との生活が始まって一週間たった。相変わらず帰ろうという意思はありそうだけど、帰る気はない。桐華は優しいから、料理を作ってくれるし他の家事もだいたいやってくれる。俺、幸せすぎて死ぬかもしれない。死因、幸福ってなかなか良い響きじゃないか。あはは、本来の目的を忘れてしまいそうだ。
凄まじくどうでも良いことだが、今日突然電話がかかってきた。相手はクラスメイトの女。付き合いで交換して、普段電話は出れないって伝えておいたのに。話すことはくだらない話。適当に付き合ったが、死ぬほど後悔している。
あの尻軽女、地味だとかダサいだとかそんな理由で桐華のことが嫌いらしい。ひたすら勝手な思い込みの悪口祭りを繰り広げてくださりやがった。個人的な感情を抜きにしても、殆ど知らない人間を何故あれほど扱き下ろせるのか。理解に苦しむ。死ねばいいのに。
ああ、そういえば母さんもそうだったか。食事の時はいつも、大して知りもしない同僚の悪口ばかり吐き散らかしていた。あの時は食事が不味くて仕方がなかった。
けれど今は違う。桐華と囲む食卓で食べる、桐華の料理はとてもおいしい。
このままずっと、とうかといっしょにごはんがたべたい。

タカフミに監禁? されて何日かの時が流れた。
監禁生活が始まって早々に、タカフミは生活に必要なものを取りに帰ることを、同伴するという条件のもとで了承した。
「逃がす気はないけど、桐華が嫌がることはしないって約束したしな」
あっけらかんと言い放ったタカフミに呆然としつつも、桐華は一度家に帰った。そして最低限の荷物を持って、手を引かれながら再びタカフミの家に戻っていた。
家に帰らなければ。この生活は間違っている。そう常々感じている。しかし何故かそう思いきれずに、ここにいたいと思う自分の心の声は消せないままだった。
うだるような炎天下。洗濯物を取り込んでいた手を桐華は止めた。できるだけ家事を引き受けて居座る理由を見出しているけれど、やはりおかしいと思う。タカフミが、この生活が、何より自分自身が。
そういえば今日は何日だったっけ。洗濯物を畳んだ後、エアコンが効いた部屋で夕食の支度をしながら桐華はふと考える。
タカフミはアルバイトに行っているため、聞く相手もいない。監禁生活なのに普通に逃げられるじゃん。苦笑しつつ、疑問の答えを求めて部屋を見渡す。
「あれ?」
しかし教えてくれるものはない。探していたもの――――カレンダーがどこにもなかったのだ。
「ただいまぁ、桐華。逃げてない?」
後でタカフミに聞けばいいか。そう結論づけて、玄関からの声に応える。
「おかえり。逃げてないよ」
結局、聞くのは忘れたままだった。

八月四日(月)
毎日が幸せだ。このままこの生活がずっと続けばいいのに。そう思う俺を、カミサマは許してくれないらしい。
本人は自覚していないようだけど、桐華はぼうっとする時間が増えた。少し忘れっぽくもなっている。あの日が近づくにつれて出てくる症状。それがもう姿を見せている。
狸爺に出された『特別な夏休みの宿題』。これに取り掛かる暇もないかな。嗚呼、本当にひどいカミサマだ。気に入らないが、どうにかしないといけない課題だと思っていたのに、
まあ、カミサマなんてとっくに信じていないから、桐華を監禁したんだっけ。

監禁生活が始まってどれだけの日数が経ったのか。桐華にはわからなくなっていた。そもそも夏休みというものは日付や曜日の感覚がなくなりやすい。だから夏休みの宿題は片付かないのだ。高校に入ってからは、夏休みの宿題はそれほどでなくなったけれど。
桐華は目の前の画面を見つめる。映画のエンドロールが流れていた。
「はー、笑えた笑えた。最後はなんか謎の感動もあるし……やっぱ面白いわ、この映画」
「うん。初めて見たけど面白かった。まさかあの言葉が伏線になるなんて……」
タカフミが借りてきたDVDの映画。ギャグありミステリーありの飽きないものだった。
今日は俺が晩ご飯作るな、というタカフミの言葉に安堵する。どうしても今日のメニューが思い浮かばなかったからだ。
そういえば。ふと思いついたことをそのまま口にする。
「タカフミってさ、恋愛映画あんまり見ないよね」
台所から、どこか乾いた声が返ってきた。
「俺さ、愛とか恋とか、好きだとか愛してるだとか。そういうことばっかり言ってるのって、好きじゃないんだよね」
その声には様々な感情が込められている。そんな気がしたけれど、桐華はそういうものか、と納得してリモコンに手を伸ばした。

エンドロールも終わり、DVDが止まる音がする。
そういえば、この生活はどんな終わりを迎えるのだろうか?
ぱつん、という音と共に画面は黒に染まった。

気づいた時には漆黒の闇の中。
見渡そうとしても何も見えない。そればかりか、気配も物音も何もない。ただ無だけがどこまでも広がっていた。
「……タカフミ」
名前をいくら叫べども、あの太陽のような明るい声が返ってくることはなかった。
誰もいない。何よりタカフミがいない。その事実を認めた桐華の精神は絶望に塗りつぶされる。息が詰まる。しかしそれでも、声を絞り出す。
タカフミ、タカフミ、どこ、へんじ、して。
その声は言葉とは言えないくらいすり減って、ぼろぼろのものだった。
しかし構わず桐華は迷い子のように何度も繰り返す。
タカフミ、タカフミ―――。
何度繰り返したか、桐華にはわからなかった。そんな悠長に数えていられるほどの余裕はなかったし、何より闇の中の時間の流れはひどく曖昧だった。
『――、――――、――』
何かが聞こえ、桐華は辺りを見渡す。相変わらず、闇に光はない。
桐華は瞳を閉じて、耳を澄ます。
『――、――、――』
それは誰かの話し声だった。一人ではない大勢の曖昧な声。内容は全く聞き取れない。しかし慎ましかったその声はいつの間にか喧しくなり、耳障りなけたたましささえ感じるものになっていた。気味が悪い甘い声。委縮してしまう強い声。正しさだけがぶつかってくる声。
耳を塞ぐ。それでも止まらない。頭の中で声たちが飛び回る。割れんばかりの音が、脳みそを何度も何度も殴りつける。
「やめて!」
目を見開いて叫ぶ。しかしその瞬間、身体中の温度がなくなった。
目だ。漆黒だった景色は、見渡す限り目で埋めつくされている。大小さまざまなそれは、ただ桐華だけを映し出していた。
心臓が握りつぶされる。
耳を塞げども不快な声が脳みそをかきまぜる。瞼がけいれんするくらい強く閉じても、視線の矢が身体中を貫いた。
『やめて、みないで、はなしかけないで、わたしは、そんなことばなんていらない、ほっておいて、わたしは、わたしは』
脳にノイズが走る。瞼の奥に、砂嵐を幻視する、それには色がついていた。赤と黒。二つが混じり合い、ノイズが脳を揺さぶる。
「タカフミ―――」

「とうか!」
はっと瞼を上げる。真っ先に憔悴しきったタカフミの顔が視界に入った。
「タカ、フミ……」
そうだ、おれはタカフミだよ。そう言って長い安堵の息を吐き出した。そしてくしゃりと表情を崩し、緩んだ笑顔を見せた。
ベッドサイドの電気が少し眩しい。桐華は少し目を細めた。
「よかった……桐華、酷くうなされてたから」
未だ鮮明な夢を思い出し、思わず身震いする。そんな桐華の手のひらをタカフミは布団の中から手探りで探し出し、両手で包み込む。
ただ、それだけなのに。恐怖はすうっと和らぎ、心の緊張も緩んでいく。
「ありがとう、タカフミ」
「いいんだよ。なんかさ――」
タカフミは言いよどむと、沈鬱そうに目を伏せた。口元にも悲しみの色が滲む。
「なんかさ、もしこのままうなされる桐華を起こさなかったら……そのまま死んじゃうんじゃないかって。正直思った。だから余計に……」
言い終わると、タカフミは桐華を安心させるようににっこりと笑った。
「ちょっと待ってろ」

キッチンの戸棚から、何かを出す音が聞こえる。
冷蔵庫を開ける音。電子レンジの低い電子音。そして時間を告げる明るいメロディ。それ以外何も聞こえないけれど、妙に賑やかに感じた。桐華は時計に目をやる。午前三時三十分。
「ごめん、こんな時間に起こしちゃって」
「いいんだよ。明日はバイト休みだし。桐華を悪夢から起こせて安心したから、気ままにのんびーり寝れるだろ?」
タカフミの返事はいつも通り明るい。そして言葉、声音、そのひとつひとつに優しさが込められている。
温かい気持ちでしばらく待つと、桐華の目の前にマグカップが差し出された。
「こんな真夏だけどさ。あったかいもの飲んで、落ち着けよ」
ほかほか立つ湯気。そして温められたミルクの優しい匂い。そして僅かに感じる、はちみつの香り。
「タカフミくん特製、あったかはちみつミルク! ふーふーして飲めよ? ちょっと熱いからな?」
額に気持ちの悪い汗が浮かんでいるものの、身体には寒気が残ったままだった。
ありがとう、とお礼を言って受け取る。言われるがままに何度か息を吹きかけ、口に含む。こくりと音をたてて嚥下する。
「どう? 美味い?」
「ありがとう、タカフミ。美味しい」
身体の芯から温まりながら、桐華は心の底から思う。

タカフミがいて、よかった。

《続く》

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