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【小説】一ヶ月監禁生活3

学生時代書いた話のリメイク、3話目です。
物騒なタイトルですが、R-18要素はございません。
前々回(1話)はこちら、前回は(2話)はこちらから。
今回は4000字くらいです。
いつもの注意書きも、念のため。

この物語はフィクションです。
実在の人物・団体・事件とは一切関係ありません。


八月九日(土)
昨日、桐華がひどくうなされていた。
悪夢の内容はおおよそ察しがつく。きっとあの日に関係した内容だろう。桐華は忘れているように見えるけど、おそらく記憶の奥底に封印しているだけ。あの日は夢の中という無意識の世界に漏れ出しているのだろう、
おれは、とうかをちゃんとなぐさめられたんだろうか。ささえられたんだろうか。
いや、後悔するのはやめる。意味がない。重要なのはこれからだ。
現在俺が抱えている一番の問題。
それは桐華がこれから一緒のベッドで寝てほしい、とお願いしてきたことだ。
正直、嬉しくないと言えば嘘になる。でも……いや、やめよう。
あの日は着実に近づいている。きっとあっという間に来てしまうだろう。
それまで桐華が忘れていられるように、思い出せないままでいられるように。
今日から頑張らなくては。色んな意味で。

ひどい悪夢を見た次の日から、寝ることが無性に怖くなった桐華はタカフミと同じベッドで寝たいとお願いした。タカフミは一瞬瞳の中に様々な色を滲ませて揺れていたが、最後はいつもの笑顔で頷いた。
それからは背中合わせであるものの常にタカフミのぬくもりを感じることができている。前のようなひどい悪夢も鳴りを潜めていた。
少しの変化はあったものの、桐華とタカフミの奇妙な監禁生活は淡々と進んでいた。桐華が料理を作り、時折タカフミがアルバイトへ行く。そして談笑しながら食事を囲み、DVDで映画を見たりして同じベッドで背中合わせに眠りにつく。
監禁とは名ばかりの穏やかな日常だった。
桐華はキッチンに立ち、ぼんやりと左の手首に輝く銀色の手錠を見つめた。そういえば私は監禁されているんだっけ、と心の中で呟く。その銀色を意識しないと思い出せないくらい、桐華は奇妙な日常に心地よく浸かっていた。疑問はもはや浮かばなくなっていた。
いつも通り、淡々と夕食の準備を進めていく。タカフミはどうでもよさそうにテレビショッピングを見つめていた。
「桐華。その腕のやつ、邪魔じゃねえの?」
唐突に声があがり、桐華は視線を上げた。声の主であるタカフミは椅子に座って、ふらふらと足を揺らしている。のんびりと間延びしているのに、どこか緊張の色が見える声音だった。
桐華は味噌汁の味見を終え、手錠を指差した。これ? と聞けばそうそれ、と頷かれる。
少しだけ思案する。そして思ったままに口を開いた。
「うーん、正直邪魔だけど」
だよなぁ、とため息をつくタカフミを尻目に漬けておいたきゅうりを刻み始める。
「じゃあ、外した方がいいか?」
淡々とした包丁とまな板のリズムがぴたりと止まる。
「意味なんてないものだから、さ」
ふてくされたような感情を滲ませ、吐き出された言葉。手錠をつけるように言ったのはタカフミなのに。
静寂が訪れる。唯一聞こえるのは、くつくつ煮える鍋の音だけ。
「安心するから、外さなくていいよ」
「……え?」
思い浮かんできたものそのままに零れた言葉に、タカフミは目を見開いた。彼がいつも纏っている飄々とした空気。それがどこか揺らいでいるような気がした。
「なんかね。繋がってるって思うんだ。タカフミが持ってるんでしょ、もう半分」
「持ってる……けど」
「だからかな、たぶん。私はタカフミと繋がってる……繋がれてるって思えるから」
切り終えたきゅうりをさらに乗せて、煮物の火を止める。戸棚から取り出したラップを軽く漬物の皿に被せた。
そういえば、と桐華は思い返す。監禁されたばかりの時は、ラップの場所すらわからなかった。当たり前のことだ。タカフミと桐華はいくら仲が良くとも、幼馴染であろうとも、家族ではなくただの他人同士なのだから。
心の中にふつふつと感情が湧き上がる。それはとても曖昧で不明瞭だが、寂しさに似ていた。
「とうかは、さ」
聞こえてくるタカフミの声は、どこかたどたどしい。
「繋がりが見えないのは……曖昧なのは、嫌?」
桐華は手を止めて再び顔を上げる。タカフミはまっすぐ桐華を見つめた。その瞳の中には、明確にはわからないけれど様々な感情の色が混ざり合っていた。
視線を受け止め、左手の手錠に目をやる。
「さみしい、とか……不安だなって思う時はある」
タカフミとは家族ではない、他人同士である。友達、幼馴染といった間柄の名称はある。しかし桐華はタカフミとの間柄はそれらとは異なったものだと感じていた。
だからといってそれが何なのか、桐華にはわからない、その不明瞭さが、曖昧さが、桐華はの心の隙間のひとつであることは確かだった。
「そっか」
水滴が落ちるように、ぽとりと言葉が落とされた。
同時にタカフミは小さく息を吐き出す。
「そっか」
もう一度呟くと、タカフミは桐華に笑顔を見せた。眉尻を下げた、微笑み。
「気づいてやれなくてごめん。教えてくれてありがとな、桐華」
思ったままを口にしただけなのに、何故謝られているのか。戸惑う桐華の頭に、タカフミの手が乗せられる。
「タカフミ?」
そしてそのっまま撫でられる。手つきはなんだか優しくて、心の奥にじわっと痺れが広がった。
「もうちょっと待ってて。頑張って答えを見つけるからさ」
言い終えると桐華の頭から手を離し、玄関へと向かっていった。
「ちょっと散歩行ってくる」

八月十四日(木)
やっぱり、俺は『特別な夏休みの宿題』に取り組んだ方が良いのだろうか。
桐華が手錠で安心する理由。それはきっと手錠が俺との関係の明確化、可視化に役立っているからだろう。監禁者と被監禁者。この計画の中で俺は桐華の意志を無視したからそんな言葉を選んだのに、逆に桐華を安心させている。ひどい皮肉だ。
そんなものじゃない、綺麗な答えを出したいのに、俺はこの思いをどの言葉にもあてはめられない。
愛だの恋だの。好きだとか愛しているだとか。そんな言葉を使いたくない。この感情はどうしたって消えない。
あの日が近づいてくる。とうかはどんどん弱っていく。
おれはどうすればいいんだろうか。

最近妙に調子が悪い。桐華はソファに寝ころびながらぼんやりと考える。タカフミは相変わらずアルバイトに行っていて、家に居るのは桐華ひとりだけ。桐華は天井にかざした手を見つめる。そう、調子が悪い。少し動くだけですぐにくたびれてしまうし、頭の中は霧がかかってうまく働かない。物音に過敏になった気がするし、料理のレパートリーも減った気がする。
そしてそれは日を重ねるごとに悪化しているように感じた。
タカフミもそれを察しているのか、アルバイトはもう少しで終わるし家事は自分がする、と強調するようになった。
「ひとりの家じゃなくて、よかった」
漏れ出た独り言は本心だった。一人暮らしでこの調子の悪さが続けば家事はおろか、食事もきちんと摂らなくなっていただろう。
そうすればどうなっていたか。あまり良い想像はできなかった。
「桐華、ただいま。晩ご飯も買ってきた! お前も好きな、駅前の店のハンバーグだぜー」
タカフミがいて、よかったなぁ。変わらず霧の中に沈んだ頭で、心から思った。

色のない、真っ白に包まれた二人の顔。それはとても幸せそうに微笑んでいて、息ができなくなる。黒い影に囲まれる。声を掛けられる。しかし内容は全く耳に届かない。念仏のようだ。いや念仏? これは念仏? 死者への慰め? 死者? 誰が死者? 死んでいたのは誰? あの赤と黒の塊は何? それは――それは――――。

目を開く。暗い室内が目に入った。身体中が石のように硬直している。酸素を求め、はくはくと短く息を吐いた。瞼を閉じればまたあの赤と黒が目の前にぶちまけられるような気がして、必死に目に力を込める。
けれど悲鳴が、念仏が、何かけたたましい音が、時系列を無視して混沌と化し、脳みその中で渦巻いている。
桐華は反射的に左手で頭を押さえた。触れた額には汗が浮いているが、そんなことはどうでもいい。ただ今すぐにこの激流がから解放されたかった。
不意に、右手に暖かさを感じた。暑さも寒さもわからなくなっているのに、確かにぬくもりが触れたと確信できた。
その優しいぬくもりは手のひらの形をしていて、硬く冷えた手を包み込んでいく。
夜の帳が降りて、涙で潤んだ視界、見えない。見えないけれど確信できる。隣で寝ていたタカフミがこちらを見ていることを。
「タカ、フミ」
絞り出した声は予想以上に枯れていた。目が段々と暗闇に慣れてくる。タカフミの顔が鮮明になる。開いていた瞳は、心配の色で染まっていた。
「タカフミ……」
大丈夫だよ、と言える気分ではなかった。起こしてごめん、と言うべきなのだろう。けれどもちろんそんな気分にはなれなくて。むしろタカフミが目覚めたことに、ぬくもりをくれたことに、どうしようもなく安堵しいていた。
タカフミは何も言うこともなく、ただ桐華を見つめている。手のひらから伝わるぬくもりを与え続けている。
それでも、それでも物足りなさを感じて。もっと暖かさが欲しくて。すがるように彼に身を寄せる。
「――――」
声にならない感覚が、言葉にできない感情が、桐華の身体を駆け回る。安堵があるのに怖い。泣き叫びたいのにこのまま静かな時を過ごしたい。矛盾ばかりの思考に身体はただ震えるだけだった。
タカフミは少しだけ包んだままの手のひらへの力を強くすると、目を細めて笑顔を見せた。
「タカフミ……?」
とうか、だいじょうぶ。タカフミの唇が動き、吐息だけで言葉が紡がれる。
そのまなざしも、笑みも、言葉も、全てが誰かに似ていた。桐華は吸い寄せられるように、タカフミの肩口に顔を埋める。
温かく、けれど柔らかさのない骨ばった肩だった。誰に似ているのだろう。こんな風に誰かに、無防備に身をゆだねることがあっただろうか。曖昧な頭に優しく手が伸ばされる。慈しむように、タカフミの指が髪を撫でる。
そう、昔。こうして頭を撫でて愛を注いでくれたのは――――。
「(おかあ、さん)」
思考に靄がかかっていく。安心と、心地よさと、ぬくもりに包まれて心が溶けていく。
揺らぐことなくその身体を受け止めるタカフミに全てを委ねながら、桐華の意識は遠のいていった。

八月二十二日(金)
とうとう明日だ。おれはどうすればいいんだろう。
とうかのために、なにができるんだろう。
結局、答えは出せない。
俺は愚かで無力な、ただの人でなしだ。

《続く》

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